それと、うまい物では川鐵の鳥料理と小鉢もので、白木屋横町の江戸源、こゝの女将のキビキビした傳法肌と、お酌をして呉れるお幸ちやんの美貌。その愛くるしい黠に於てダンゼン牛込一の小町嬢である。嘘だと思へば敬愛する先輩齊藤昌三 氏に訊いて頂きたい。 「お幸ちやんは幾つだい。」といふと、 「妾し、妾し十九よ!」 これは一昨年の會話である。 「お幸ちやんは幾つになつたのだい!」 「あたし、あたし十九になつたのよ!」 これは今年の會話である。 もし、來年になって、誰かゞ彼女の年を訊ねても 「妾し、妾しは今年十九になったのよ!」 とかう答へるであらう。 彼女が、いつ、誰と結婚するかに就て、まるで自分のことのやらに氣にしてゐる人間が、上は五十四歳の爺さんから、下は二十代のニキビ青年に至るまで、無慮百人を算すといふから、一應は見てをいてもいゝ代物であらう。 |
小鉢 こばち。小形の鉢。そのような器に盛られた料理。
白木屋横町 神楽坂仲通りのこと
江戸源 安井笛二氏の『大東京うまいもの食べある記 昭和10年』では「白木屋横町――小食傷新道の観があって、おでん小皿盛りの「花の家」カフェー「東京亭」野球おでんを看板の「グランド」縄のれん式の小料理「江戸源」牛鳥鍋類の「笑鬼」等が軒をつらねてゐます。」
伝法 でんぼう、でんぽう。勇み肌、いなせなこと。多く女がいきがって、男のような言動をすることをいう
小町 小野小町のこと。転じて美人。
齊藤昌三 斎藤昌三氏。大正・昭和期の書物研究家、編集者、随筆家、装丁家、発禁本研究では「書痴」。茅ケ崎市立図書館の初代館長
妾し わたし。あたし。昭和初期に女性では「私」ではなく「妾」の字が使われていました。
一昨年 おととし。2年前。本の出版は1932年なので、1930年頃でしょう。
無慮 むりょ。おおよそ。ざっと
算す かぞえる。計算する。ある数に達する。
代物 しろもの。物や人。低く評価したり,卑しみや皮肉を込めていうことが多い。