神楽坂の大阪寿司|石野伸子

文学と神楽坂

 石野伸子氏は2005年から2007年までに産経新聞に「お江戸単身ぐらし」を連載し、それをまとめて、2008年『女50歳からの東京ぐらし』(産経新聞出版)を上梓しました。中でも大阪寿司の専門店『大〆おおじめ』については2題を2005年秋に書いています。これは第1部です。大〆は神楽坂6丁目8番にあった店舗ですが、2017年、閉店しました。
 イタリアらしい店舗も箱ずしも普通だし、価格はちょっと高いと思っていても、その裏にある大阪寿司をもっと知っていればよかったのにと思っています。
 石毛直道氏は「大阪の箱ずしが全国区にならなかった理由」を書いています。どうか読んでください。今では大阪寿司をちょっとよく知り、まあちょっと食べています。 

神楽坂の大阪寿司
 フレンチレストランで大阪寿司ずし店のご亭主に出会った。知人を介しての小さな集まりで、しやれたシャツを着てご夫婦で参加していたので、寿司職人といわれて驚いた。「大阪寿司なんて、絶滅品種ですから。おやあなた、大阪の人? 大阪の人だってあまり食べないでしょう」。確かに大阪時代、代表的老舗「吉野寿司」の本店に足を運んだことはなかったが、百貨店で何度か買い求めたことはある。でも、絶滅品種などと言い切られては 気になる。早速、店にお邪魔して二度びっくり。店構えはまるでイタリアンレストランだ。
 神楽坂のメーンストリートを一本路地に入ったところ。南仏風の洋館に、小さく「大阪寿司・大〆おおじめ創業明治43年」とある。重い木のドアを開けると革張りの椅子いすにテーブル。出窓には伊万里焼の器が飾られ、壁一面にイタリアの風景画。ご亭主、加藤堅二郎さん(59)の作品だ。「イタリアが好きでしてね。新婚旅行もイタリア。30年ほど前に家屋を改築するとき思い切っていまの形にしました。うちは女性客も多いですから」
 看板にあるように、創業は古い。初代は関西で修業し、宮内省(当時)の寿司部門の主任も務めた。当時、東京でも結構大阪寿司が流行していて、大阪寿司店も多かった。しかし、戦後は江戸前握り全盛。「だから、二代目のおやじで店も終わりだと私も広告代理店に勤めたのですが、おやじが病気で倒れ、私が後を継ぐことに」
「絶滅品種」と公言するのは、大阪寿司は手間がかかること。調理場に一定の広さがいること。さらに世の中が握り一辺倒となれば弟子も独立のメドが立たず、常に人手不足に悩みつつの営業だという。
「まあ、食べてみてください」。押し寿司蒸し寿司のセットをいただく。タイやエビをきれいに飾ったおなじみの大阪寿司。加藤さんのこだわりで夏場はアナゴでなくタイをつかう。錦糸卵をたっぷり乗せて蒸したおわんにも、タイの身がたっぷり入っていて、幸せ。
 加藤さんは大阪寿司のうまさを「なれた味」と表現する。「熟成した味、大人の味わいですかね。なまのおいしさもわかるけど、そればっかりじゃあ」。確かに。絶滅させるには惜しい味。それに大阪が絶滅するようで悔しいじゃないですか。
大阪寿司 大阪の押し寿司。関西寿司とも。具材を酢飯と共に型に入れて押し固めた寿司
吉野寿司 吉野鯗。大阪市中央区淡路町にある寿司屋。箱寿司、棒寿司、蒸し寿司、穴子蒸し寿司などが有名。
伊万里焼 佐賀県有田町を中心とした肥前国(佐賀県と長崎県)の磁器。
江戸前 江戸の近海。特に、芝・品川付近の海。江戸湾(東京湾)でとれる新鮮な魚類。江戸や東京風の料理
握り 握り寿司。酢飯を一口大に握り、魚介類や厚焼き卵などの寿司種をのせた寿司。
押し寿司 木枠に酢飯と具材を詰めて押し固めた寿司
蒸し寿司 ぬくずし。ちらし寿司を丼等に入れて蒸し上げた冬限定の寿司。
錦糸卵 薄焼き卵を細く切ったもののこと。

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