秋田雨雀氏と仲木貞一氏の『恋の哀史 須磨子の一生』(日本評論社、大正8年)という本に坂本紅蓮洞氏が松井須磨子氏に対する追悼文を書いています。この文章を読むと紅蓮洞氏って普通で正常な人にしか見えません。
並び大名
坂本紅蓮洞
松井須磨子の死は、なみなみならぬ死である。それだけ、人をして感動せしめたことも大である。然し、この感動といふもの、餘りに、よくその人を知り、餘りに近く、その人に接して居たものには、その當時にあつては、唯、あつけに取らるゝばかり、所謂、茫然自失、何も、それに對して、いふことが出来ない。私は、今、この境遇に居る。何も書けない。もう、少しく時日でも經過したら、或は、感想なり、何なりか、いへもし、また、書けるかも知れない。今の處、何も出来ない。須磨子が女優であつただけ、芝居のことを、例に引くが、この書に對しては、多勢の人が、それぞれ感想を書くさうで、私も、それ等の人の中に交て働く役を振られた以上、せめてのことに、申上ます位の格のところを勤めて、一言や二言の科白をいひたいのではあるが、今もいつた通りのことで、トチるはおろかなこと、何うかすると舞臺をも破壊し兼ない。そこは、遠慮し、並大名の一員として、默つて舞臺の上に、顏を連ぬる底の役を勤める。新劇の方では、かういふ役のことを、タチンボウといふ。よく人は、芝居のことを綜合藝術であるといふが、假令、並大名にせよ、タチンボウにせよ、やはり、この書に於て、その一箇分子たるところの役を勸むるのである。自ら新劇彌次將軍を以て任じ、他から女優應援隊長官を以て目せらるゝ英雄の私といへど、この場合心緒紊れて糸の如しどころか、茫然自失せる上からは、かういふ舞臺はこれより以上の役は勸まらない。並大名のタチンボウたる端役を甘じ、且、それが綜合の一箇分子たるを喜び、こゝに、自ら、その名を署するの光榮を擔ふのである。 |
並び大名 歌舞伎で、大名の扮装をして、ただ並んでいるだけの役や、扮した俳優。人数に加わっているだけで、あまり重要ではない人。
なみなみならぬ。非常に。
茫然自失 ぼうぜんじしつ。あっけにとられ、また、あきれはて、我を忘れてしまうこと。
時日 じじつ。日数。月日。あるいは、日数と時間。
格 物事の仕方。流儀。決まり。規則。法則。
科白 演劇の舞台で俳優がいう言葉。
トチる 俳優が台詞や演技をまちがえる。とちめんぼうの「とち」を活用させたもの
底 てい。種類。程度。中国で近世の口語に用いられた「…の」の意の助辞から出た語。現代中国語では「的」に相当する。
新劇 日本で明治以降に展開した新しい演劇ジャンル。以前の能・狂言、歌舞伎などの伝統演劇の「旧劇」に対する呼称。近代・現代演劇運動とほぼ同義に用いられる。
タチンボウ 長い時間ずっと立ちつづけている人。
心緒 しんしょ。思いのはし。心の動き。しんちょ。
紊る みだる。乱る。秩序を乱す。整っていた物をばらばらにする。