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都電・飯田橋(写真)1960年代

文学と神楽坂

 小川峯生・生田誠共著「東京オリンピック時代の都電と街角」 (アルファベータブックス、2017年)を見ましょう。

小川峯生・生田誠共著「東京オリンピック時代の都電と街角」

5方向からここに都電たちが集ってきた
3・13・15系統
飯田橋

 江戸城の北西にあたる飯田橋は、江戸時代には「牛込見附」が置かれた場所で、現在は外堀通りが通り、JR中央・総武線の飯田橋駅の両側で、早稲田通り神楽坂通り)と目白通りと交差している。また、早稲田通りから分かれて西に延びる大久保通りが存在し、現在は地下鉄各線が通る、この地域の交通の要となっている。
 明治から昭和戦前期の飯田橋付近には、「陸軍造兵廠東京工廠」が置かれ、国鉄の牛込、飯田町駅が存在した。現在のJR飯田橋駅は、1928(昭和3)年に牛込駅飯田町駅が統合された、比較的新しい駅である。2駅のうち、国電の始発駅だった飯田町駅は、統合後も長距離列車発着用のターミナル駅が残り、その後は貨物駅となって1999(平成11)年まで存在した。

外堀通り JR山手線やJR総武中央線に沿って皇居のまわりを一周する最大8車線の都道
早稲田通り 千代田区九段北の田安門交差点(靖国通り)から新宿区西早稲田、中野区中野などを経由し、杉並区上井草(青梅街道)に至る道路区間。
神楽坂通り 始点は神楽坂下交差点で、神楽坂上交差点を通り、神楽坂6丁目の終点辺りまで。早稲田通りの一部。
目白通り 千代田区の靖国通りから、練馬の関越自動車道の練馬インターに至る延長16kmの2~6車線の都道
大久保通り 飯田橋交差点から、牛込神楽坂駅を経て、JR高円寺駅付近の環七通りの大久保通り入口交差点に至る延長9kmの主に往復2車線の東西方向の都道

飯田橋の通り

陸軍造兵廠ぞうへいしょう東京工廠 陸軍の兵器・弾薬・器材などの考案・設計・製造・修理などをする施設。小石川の旧水戸藩邸跡に建設した。
飯田町駅 明治28(1895)年、飯田町駅は開業。場所は水道橋駅に近い大和ハウス東京ビル付近でした。1928年(昭和3年)、関東大震災後に、複々線化工事が新宿ー飯田町間で完成し、2駅を合併し、飯田橋駅が開業。右は飯田町駅、左は甲武鉄道牛込駅、中央が飯田橋駅。2020年6月、飯田橋駅は新プラットホームや新西口駅舎を含めて使用を開始。

飯田橋駅、牛込駅、飯田町駅

 この飯田橋を通る都電は、3系統、13系統、15系統の3路線が存在した。山手線の南端にあたる品川駅前を出て、四ツ谷駅前から外堀通りを通って、はるばる飯田橋駅前へやって来たのが3系統である。ここが起終点の停留場だったから、残る2系統の路線とは接続していなかった。
 一方、高田馬場駅から南下して、新目白通り、目白通りを経由して、飯田橋へやって来た15系統は、九段下から神保町、大手町を通り、茅場町へ至る路線だった。また、新宿駅前からの13系統は、河田町から神楽坂を通って飯田橋に来て、御茶ノ水、岩本町を通り、終点の水天宮前に向かった。これらの路線は現在、東京メトロ東西線、南北線、有楽町線、都営地下鉄大江戸線に受け継がれている。

3路線 下図を参照。ただし13系統と15系統は間違いで、逆が正しい。

石堂秀夫「懐かしの都電」(有楽出版社、2004年)

東京オリンピック時代の都電と街角
【飯田橋】 1968年(昭和43年)
 傘を手にした背広姿の会社員の列が見える雪の日の朝、飯田橋駅前の風景である。ようやくやってきた15系統の都電に乗ろうと、安全地帯に駆け寄る男たちもいる。まだ、神田川・外濠の上に首都高速道路は架かっていなかった。

1967年 飯田橋

飯田橋駅前の風景 15系統の都電が見える。ほかに正面のビルには左から右に

  1. 巨大なビルは東海銀行
  2. 酒の黄梅きざくらとカッパは三平酒造
  3. パーマレディ
  4. カッパ(合羽?)
  5. ミカワ薬局
  6. 時計
  7. 銀座土地
  8. つるやコーヒー
  9. 松岡商店

飯田橋2

【飯田橋】 1962年(昭和37年)
 新宿駅前を出て、牛込柳町、神楽坂とたどってきた13系続の都電が坂道を下って、飯田橋までやってきた。坂の途中に見える建物は、1933(昭和8)年に完成し、戦災をくぐり抜けた新宿区立津久戸小学校の校舎である。この13系統は、手前の交差点を左折して外堀通りを水道橋の方向に進んでいった。

1960年。人文社。住宅地図。

 最左端は書店「文鳥堂」で、「小説新潮」「蛍雪時代」などを販売。その右に「田原屋」。洋酒を売っていた。「キャラメル」は「菓子 飯田橋 園」でしょう。「都 しるこ」は写真でははっきりしない。「都 寿司」はよくわかる。「ビヤホール 飯塚」もわかる。停留場「飯田橋」がその前にあり、おそらく都電は停車中。
「新宿区立津久戸小学校」は中央の大きな建物。「新宿区立愛日小学校 津久戸分校」は間借りしていた。

1965年。日本住宅地図出版。住宅地図。

 広告板「酒は両関」は稲垣ビルで、東京ガス飯田橋サービスステーションなどがはいる。地元の人は「その後、隣の第一銀行と一緒になって現・第一勧銀稲垣ビル。1974年11月に竣工。『第一勧銀』の名を残す稀な例」だといいます。その右の2階は「ネアロンコーヒー」でしょう。その隣は「日鶴園飯田橋」で、おそらく酒に絡んだ商売をしている。「明治」はおそらく「山口製パン」がつくっている。

 また「文春オンライン」(J・ウォーリー・ヒギンズ『秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本』光文社新書 2018年)で同じようなものもでています。

1960年代の飯田橋 首都高もビルもない
 飯田橋駅のホームから神田川を眺める。64年当時は、バスと都電が走っていた。都電はここから、日本橋、茅場町へと向かう。高層ビルがほとんどなく、首都高もなく、青空が広がっているのが、今見ると印象的だ。(1964年12月4日)

牛込駅リターンズ

文学と神楽坂

 2020年7月12日、JR飯田橋駅が新しい駅に生まれ変わります。駅の西口も新しいものにかわる予定です。さて、地元にお住まいの協力者の方から、こんなメールを頂きました。

駅舎完成イメージ

 神楽坂の住民にとって、もちろん飯田橋駅はなじみ深い駅なんですが、飯田橋という地名は千代田区のものだし、駅舎も東口に「みどりの窓口」があるなど飯田橋側がメーンなんです。神楽坂に近い西口は、どうしても裏口的な感じがありました。
 この東口と西口の競争みたいな感情は多分、旧牛込駅旧飯田町駅の時代から続くものなんでしょう。地下鉄の有楽町線のができる時、地元商店会は「駅名を『神楽坂』に」と運動したんです。東西線に『神楽坂』駅があるので無理だと分かっていても、目の前の駅が別の名前であることは納得しがたかったんでしょう。
 もう立ち消えになったようですが、東口に近い新宿区側の下宮比町に町名変更の話があって、その候補名が「西飯田橋」だという。そりゃないだろと思いました。今も「飯田橋駅東口郵便局」が下宮比町にあるんてすが、おかしいですよね。けど地方の人からしたら、飯田橋の方が分かりやすいんでしょう。駅名って、とても大事だと思います。
 昔の国電の飯田橋駅西口は、改札を入ってから長い傾斜路でホームに降りていくので、電車が見えているのにドアが閉まって発車してしまう。そんな時に東口との距離を感じました。
 今のJR飯田橋は普通の各駅停車の駅ですが、昔はちょっと違ったんです。総武線と中央線の線路の脇に、隣接する飯田町貨物駅引き上げ線があって、狭い場所ながら貨物列車の入れ替えがあった。この引き上げ線の跡地は、新しい西口を作るまでの仮駅舎になりました。
 それと千葉方面から来る総武線の各駅停車は何本かに1本、飯田橋が終点でした。市ヶ谷の方にあった折り返し線に入ってから、向きを変えてホームに入ってきて、今度は飯田橋始発になる。ちょっとターミナル駅みたいな感じがありました。大人が「昔の甲武鉄道は、ここが始発駅だったんだよ」と言っているのを聞いて、なるほどなと思ったものです。
 各駅停車の飯田橋始発着がなくなったのは1990年ごろかな。折り返し線も撤去されました。ちょうどそのころ、地元の商店会にJR側から「いずれ、あの折り返しの線の場所にホームを移したい」という意向が伝えられました。曲線ホームが危険だということは、ずっと前から認識されていましたからね。この話に地元は大いに期待しました。けど実現するまで30年かかった。
 新しい西口の駅舎には「みどりの窓口」も出来て、今度は西口がメーンになります。東口からは古いホームを歩いてこないと電車に乗れない。ちょうど昔と反対の立場です。
 ほかに西口の旧駅舎で、思い出話がふたつあります。ひとつは、いまラムラに入るみやこ橋のところにあった古い神楽坂警察署の木造の建物。1970年頃、もう警察は移転していたんですが、剣道場が残っていて人が出入りしていました。機動隊も一緒に使っていたんじゃないかな。
 もうひとつは桜の木です。駅から牛込見附の交差点まで下りる坂に大きな桜が2本ありました。花の季節は綺麗なんですが、桜って毛虫がつくんですよ。初夏になると頭の上からポロポロ落ちてきて、そこを通勤通学の人が歩くものだから、もうグチャグチャで大変。苦情が出たんでしょうね、いつの間にか伐採されました。
 お堀の脇の土手公園も、昔はもっと桜が生えていたと思います。けど同じ苦情で、通路の部分の木を減らしたようです。今も桜の名所ですが、毛虫が話題にならないのはなぜなんでしょうね。

旧飯田町駅 甲武鉄道で牛込駅の東で、次の駅。飯田町駅開業当初は始発駅。1928年(昭和3年)に牛込駅と同時に廃止、両駅の中間の曲線部分に飯田橋駅が開業。その後、飯田町駅は荷物や貨物の専用駅になり、1999年(平成11年)飯田町駅は廃止。
 営団地下鉄有楽町線の飯田橋駅です。1974年開業。
運動 駅名が正式決定する前の段階なので、開業の1-2年前でしょう。商店会から営団地下鉄に要望しました。
東西線に『神楽坂』駅 1964年開業。有楽町線に比べて東西線神楽坂駅の開設は10年早い。
下宮比町に町名変更の話 噂として聞こえてきた話です。神楽坂は住居表示「未実施」で、下宮比町は昭和63年2月15日に「実施」しえいます。おそらく、その前の「候補」か「構想」の段階だと思います。
飯田橋駅東口郵便局 新宿区下宮比町3-2で、大久保通りに面しています。
飯田町貨物駅 アイランズ著『東京の戦前昔恋しい散歩地図』(草思社、2004年)で、飯田橋貨物駅は

飯田橋貨物駅

また、アルビオ・ザ・タワー千代田飯田橋では

飯田橋貨物駅(旧飯田町駅・昭和63年)毎日新聞社

引き上げ線 停車場において、列車や車両の方向転換や入れ換えを行うために、一時的に本線から列車(車両)を引き上げるための側線。
折り返し線 あきぼうのブログ(https://ameblo.jp/akif4914/entry-12194311099.html)に「折り返し用引き上げ線があった」として「この線路と線路の間の土地は、かつて飯田橋駅で折り返していた千葉方面への折り返し列車を引き上げていた線路跡なのです。現在折り返し運転が亡くなったため線路は撤去されています。そこで、この線路跡の土地を利用して飯田橋駅の改良工事が進められています。」と書かれています。下の図「飯田町駅牛込間新停車場」の1番奥の線路は折り返し用引き上げ線です。

飯田橋駅と牛込見附と橋

西口の駅舎 新西口駅舎は、鉄骨造・2階建て。延床面積は約2200㎡。多機能トイレ1カ所、1人乗りエレベーター1基が設置。一階は駅施設と店舗(3店舗)、二階は店舗(2店舗)。

ラムラ 昭和59年、飯田橋のセントラルプラザビル(店舗、事務所、住宅機能をもった大規模複合ビル)が完成。うち、セントラルプラザビルの1、2、20階を占めるショッピングセンターは「ラムラ」と呼ぶ。(株式会社セントラルプラザ

https://chikatoku.enjoytokyo.jp/spot/ramla.html

みやこ橋 牛込橋の周縁道路と総合ショッピングセンター・ラムラをつなぐ橋

みやこばし

毛虫が話題にならない 自治体の人が桜が咲き始める前に大量の殺虫剤をまくらしいと、あるブロガー