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神楽坂五丁目(写真) 令和4年 ID 17078-80

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 17078-80は、令和4年3月、神楽坂五丁目から西向きに神楽坂上交差点や神楽坂六丁目方面を撮影した写真3枚です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 17078「神楽坂上」交差点から神楽坂六丁目方面を望む

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 17079「神楽坂上」交差点から神楽坂六丁目方面を望む

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 17080「神楽坂上」交差点から神楽坂六丁目方面を望む

 中央の前後の通りは「神楽坂通り」、その先に出てくる南北(写真では左右)の通りは「大久保通り」、2つの交差点は「神楽坂上」交差点です。
 神楽坂通りは0時から12時までは東向きで神楽坂を下り、12〜24時は西向きで、上がります。ランチタイムの12〜13時は歩行者専用道路です。
 車道と歩道はアスファルト舗装ですが、歩道はインターロッキングという小型ブロックのかみ合わせです。
 灯具は令和4年2月から3灯タイプですが、将来道路になる場所では旧来の街灯を使っています。街灯柱は淡灰色で、下半分にビニール製の保護材と思われるものがあります。
 外堀通りの歩道の縁石は一定間隔で黄色に塗ってあり、これは「駐車禁止」の意味です。

神楽坂5丁目(令和4年)
  1. 1階は「(くすりの福太郎 神)楽坂店」2階は「(ANYTIME FITNESS) 2F」「(ANY)TIME FITNESS」「24時間年中無休の/フィットネスジム/2F」(シュエット神楽坂)
  2. 壁面「PIZZERIA TRATTORIA」。旗「PIZZERIA &/TRATTORIA」。店名「Margherita Pagliaccio」(マルゲリータパリアッチョ 神楽坂店)(ピザ店)
  3. 突き出し看板「築地すし好/Girl’s Bar Lounge ♥ Belle」「BAR(イラスト) 鴨 社」店名「築地すし好」
  4. 株式会社 つくば商事(不動産会社)
  5. 「神楽坂上(Kagurazaka ue)」交差点、信号機
  6. 大久保通り
  7. 「くすり/ポイント5倍デー(ココカラファイン)」「JOYFIT」巨大な時計(タイヨウビル)
  8. 「神楽坂上(Kagurazaka ue)」交差点、信号機、 「自転車を除く/日曜・休日は12-19」、(駐車禁止)
  9. 街灯(六丁目用の灯具、2灯)
  10. 遠くに神楽坂FNビル(6-67)、三上ビル(6-64)、パークリュクス神楽坂(6–59)
  1. 空地(将来は道路になる)
  2. 旧来の街灯が1つ
  3. 案内看板「牛込消防署→」
  4. 12-24
  5. 「江戸三十三観音十六番札所」「厄除・除病 大佛薬師如来」「開運・繁昌 大聖歓喜天」「大聖歡喜天王 安養寺」
  6. 「(神楽坂 穂禮)上海」(中華料理店)(響ビル)
  7. 街灯(六丁目用の灯具)

インターロッキング インターロッキング(interlocking)とは、コンクリートブロックをレンガ調に組み合せて敷き詰める舗装方法で、翻訳は「つなぎ合わせた」「連結した」など。荷重がかかると、ブロック間の目地に充填した砂が働き、かみ合わせ(荷重分散効果)が得られる。

神楽坂5丁目(写真)平成31年 ID 14056

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」のID 14056は、平成31年(2019)神楽坂5丁目から神楽坂上交差点をはさんで神楽坂6丁目方面の写真を撮ったものです。交差点の向こうは左側が5丁目、右側が6丁目になります。なお、平成31年は5月1日に令和元年に変わりました。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14056 神楽坂上交差点から神楽坂六丁目方面を望む

 四つ角は神楽坂上交差点、左右の道路は大久保通り、前後の道路は神楽坂通りです。歩道の縁石は一定間隔で黄色に塗り、意味は「駐車禁止」
 左右の歩道の縁石側に、上を向いて逆正4角錐の街灯(光源はアイ ツインアーク)があります。横木には「神楽坂」を染め抜いた紫の旗が下がっています。
 神楽坂上交差点を越えると、左の5丁目も右の6丁目も同じ街灯(やじろべえ型)になります。やはり「神楽坂」の旗が見えますが、違うデザインで、色も赤く変わります。
 電灯はなく、左側の緑色の小型ボックスは無電柱と地下の共同溝に伴ってできたものです。歩道はインターロッキングという小型ブロックでした。
 大久保通りの拡幅計画のため、交差点の右前にあった河合陶器店山下漆器店はなくなり、2019年にみんなの買い取りプラザがなくなり、2020年にはアマリージュもなくなりました。
 ケヤキは裸木で、人々は厚い上着を掛け、おそらく季節は晩秋から冬。買い取りプラザは2019年4月のストリートビューでは取り壊されているので、2019年1~2月の撮影と推定されます。

神楽坂5丁目→6丁目(平成31年)
  1. (くすりの福太郎)。垂れ幕「24時間年中無休のフィットネスジム ANYTIME FITNESS 2階」「FITNESS」
  2. (駐車禁止)
  3. マルゲリータパリアッチョ(Margherita Pagliaccio)神楽坂店。PAZZERIA & TRATTORIA。薪の数束。
  4. TSUKIJI 築地すし(好)SUSHIKO
  5. (つくば商事)
  6. ▶神楽坂通り
  7. 大久保通り。
  8. 神楽坂上交差点。
  9. 信号機。
  10. ココカラファイン(薬)。JOY FIT(2階)
  11. (神楽坂)商事
  12. ( 歩行者専用)「自転車を除く/12-13/日曜休日は/12-19」(駐車禁止)

▶は歩道上で車道寄りに看板がある
▶がない場合は直接店舗に

  1. みんなの買い取りプラザ「お売りください 高価買取 無料査(定)/かしこい 生前整理 遺品整理 ご予約受付中/貴金属・ダイヤ・色石・ブランド品・時計/骨董品・美術(品) 中国骨董(・刀剣) 掛け軸(・絵画) 茶道具・書道具 象牙・珊瑚(・翡翠) 着物・帯・(毛皮)」
  2. アマリージュ
  3. 仮設のパイプ柵と緑色のネット(店舗の撤去跡)
  4. 大久保通り。
  5. 「↑ 280m  地下鉄駅 神楽坂駅」「← 100m 地下鉄駅 牛込神楽坂駅」「牛込消防署→ 160m」
  6. 安養寺
  7. 五十番
  8. (一方通行)12-24
  9. 株式会社アドバリュー2・3F(広告代理店)。株式会社ケイ・トゥー・ワン2F(デザイン会社)。証明写真(55 Station)。
  10. (Panasonic しのはらでんき)

住宅地図。平成27年。

神楽坂6丁目(写真)昭和47-49年 ID13227

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」ID 13227は神楽坂6丁目から5丁目や3丁目の方向を撮っています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13227 神楽坂

 横の大通りは大久保通り、縦の大通りは神楽坂通りです。中央やや左の上面は巨大な「車両進入禁止」の回転標識がありますが、これは午前だけで、午後は「一方通行入り口」一方通行入口に変わります。全体にID 7430(昭和45年)と似ていますが、「車両進入禁止」の回転標識は角が丸くなっており、これはID 13174-13180(昭和47年秋~48年春)と同じものです。
 交差点名は「神楽坂」で、信号機にゼブラ柄の背面板はありません。横断歩道は白線のみで、路面のゼブラゾーンは描かれていません。
 交差点の奥と手前右側は神楽坂5丁目で、右側だけが電柱になり、上には大きな柱上変圧器があります。一方、交差点の手前左側は神楽坂6丁目で、左側に電柱があります。
 車道はアスファルト舗装。巨大な標識ポール「神楽坂通り/美観街」もあります。
 街灯は円盤形の大型蛍光灯で、右側は丸い蛍光灯、左側は蛍光灯の下部に逆円錐型のランタンがあります。街灯の主柱は左側は白く、右側は黒く写っています。
 歩行者の1人が普通の背広で、外套等は着ていません。
 いくつかの手かがりから、撮影年代を推定してみましょう。まず三菱銀行神楽坂支店が3丁目の新ビルに戻り、仮店舗の後に「パチンコ山水林」ができました。これは昭和47年(1972年)以降です。
 回転標識の近くに歩行者天国を示す交通標識(歩行者専用)や(自転車及び歩行者専用)はありません。一方、ID 11824(昭和54年)には出てきます。なお、ID 11824の正面の高いビルは、昭和53年(1978年)3月に完成した相馬屋ビルです。しかし、ID 13227には建築中の様子も見えません。
 歩行者天国の交通標識について調べると、坂下の牛込見附の交差点でもID 13158(昭和47年秋~48年春)、ID 8800(昭和48年)にはの標識がありません。しかし田口氏05-10-32-01(昭和49年12月)(下図)には登場します。坂上でも同時期に交通標識が整備されたと考えれば、撮影時期は昭和47-49年と推測できます。

田口重久氏「歩いて見ました東京の街神楽坂 05-10-32-1 牛込見附交差点から 1974-12-21

神楽坂6丁目→5丁目(昭和47-50年)
  1. ▶街灯。「神楽坂商栄会」「0-12 (駐車禁止)」「(区間内)」
  2. 「ナショナル ナショナル 店会の店」「JCB」(篠原電気店)
  3. 「喫茶室 ▲2階 HAKUSA」「(Coca) Cola (白砂)」「喫茶室 白砂 HAKUSA」
  4. 回転標識の背面
    ――神楽坂交差点
  5. 回転標識(車両進入禁止)
  6. 「(角)のせ(ともの)屋 (河)合(陶)器店
  7. 山下漆器店
  8. 割烹 うなぎ 蒲焼 大和田
  9. 洋品 タカミ
  10. 中国料理 東(花飯店)
  11. 神楽坂通り/美観街

▶は歩道上で車道寄りに広告があり、ない場合は直接店舗に広告があった、

  1. コーセー化粧品 桔梗店
  2. 宝石 メガネ 時計 (株)タイヨウ
    ――神楽坂交差点
  3. 営業案内/土地建物売買管(理)/賃貸借周(旋)/電話買取及(販売)/不動産一般(代理)(つくば商事
  4. 東電のサー(ビスステーション)
  5. サントリーバー スローン
  6. 薬ヒグチ
  7. (季)川
  8. タイヨウ メガネセンター メガネ
  9. パチ(ンコ)(山水林
  10. 神楽坂通り/美観街
  11. やき(とり殿堂)鮒忠
  12. 五十鈴
  13. パチンコ おおとり
  14. 突き出し看板「田原屋
  15. 三菱銀行

住宅地図。昭和52年。

神楽坂6丁目(写真)昭和45年 路面電車 13系統 加藤嶺夫氏

文学と神楽坂

 加藤嶺夫氏の「東京消えた街角」(河出書房新社、1999年)で「神楽坂通り 新宿区神楽坂6-4先から東方」は昭和45年3月15日、神楽坂6丁目から神楽坂交差点(現、神楽坂上交差点)を通り、神楽坂5丁目などを撮ったものです。左右に走るのは都電13系統で、この年の3月27日に廃止されました。その12日前の撮影です。

 車道はアスファルト舗装で、次に側溝、縁石、歩造があります。ゆるやかな坂が大久保通り。信号の向こうは神楽坂通り(神楽坂5丁目)で、こちら向きの一方通行になっています。
 中央やや左の上面は巨大な「車両進入禁止」の回転標識がありますが、これは午前だけで、午後は「一方通行入り口」一方通行入口に変わります。この奥に黒の標識があり、不明ですが、新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 7430を見ると、表裏に2枚張り合われた「神楽坂」だったと分かります。さらに奥には「神楽坂通り/美観街」があります。
 では信号の手前の神楽坂通りはどうでしょうか。センターラインがあるので一見、対面通行に見えます。しかし左側にある「駐車禁止」の標識には0-12(午前中)の時間表示があります。午前中の車の向きに対する標識と考えられ、逆側には12-24(午後)の標識があったはずです。これはID 9909と同じです。つまり手前の神楽坂通りも一方通行だったのです。

神楽坂6丁目→5丁目(昭和45年)
  1. 喫茶室 2階 COFFEE 白砂(田中屋)
  2. 大久保通り
  3. 山下漆器店
  4. 割烹 うなぎ (大和田
  1. 街灯標識「神楽坂通り」 この場所は神楽坂5丁目なので、信号の向こうと同じ円盤形の街灯でした。左側の街灯にはありません。
  2. 電柱看板「歯科 川畑
  3. SEIKO(タイヨウ時計店)
  4. 大久保通り。背面板(ゼブラ柄)がある信号機
  5. 「宅地建物取引 有限会社 つくば商事」 「営業案内/土地・建物・売買・管理/賃貸借・周旋/電話買取及販売/不動産一般代理」 突き出し看板「たばこ/DPE つくば」(つくば商事)
  6. COFFEE&SNACK カレッセ サントリーバー(つくば商事の2階)
  7. 電柱看板「 東電のサービスステーション」
  8. 薬ヒグチ
  9. 季川
  10. 三菱銀行(仮店舗)
  11. 麻雀
  12. 大きな建物(中河電気) 現・八潮ビル 昭和43年(1968年)9月竣工
  13. 遠くに煙突(改築予定の三菱銀行旧店舗)

住宅地図。1973年

神楽坂青年会「神楽坂まっぷ」(神楽坂青年会、1985年)

つくば商事、すし好、マルゲリータ

文学と神楽坂

 神楽坂上の南側には、交番がありました。左図は岡崎弘氏と河合慶子氏の『ここは牛込、神楽坂』第18号「神楽坂昔がたり」の「遊び場だった『寺内』」です。明治40年ごろですが、「交バン」がわかります。右図は昭和27年の都市製図社「火災保険特殊地図」です。赤い矢印で示しますが、戦後になってもしばらくの間、交番はそこにありました。

s12 交番

都市製図社「火災保険特殊地図」 昭和12年

 建物としては、尾張屋銀行がありました。昭和2年、尾張屋銀行は昭和銀行に買収され、左図は昭和12年の都市製図社「火災保険特殊地図」ですが、昭和銀行支店になっています。

 場所は尾張屋銀行空き地益美屋を示します。

「遊び場だった『寺内』」の中で、岡崎弘氏は

それから神楽坂上のこの角が「尾張屋銀行」。隣の「東屋洋傘店」には三人兄弟がいて、一緒に戸山ヶ原まで遊びに行ったりしてましたよ。そして、「益美屋」、袴屋、乾物の「近江屋」、「紅谷」が並んでいました。

 神楽坂アーカイブズチーム編「まちの想い出をたどって」第2集(2008年)「肴町よもやま話②」では……。なお、「相川さん」は棟梁で街の世話人。大正二年生まれ。「馬場さん」は万長酒店の専務。「山下さん」は山下漆器店店主。昭和十年に福井県から上京。「佐藤さん」は亀十パン店主。(現、Miss Urbanのところで営業していた)

つくばとすし好

尾張屋銀行はつくば商事に、空き地はすし好に

マルゲリータ

益美屋はピザのマルゲリータパリアッチョに。

相川さん そのあと工事を引き受けたのが、上州屋の旦那なんです。それで角は交番があって、尾張屋銀行があって、これが関東大震災で潰れたあとに復旧して。レンガでできていたんですね。関東大震災で一メートルぐらいレンガのクズが河合さんの方ヘダーツといっちゃってね。神楽坂をふさいじゃったんです。三尺ぐらいしか通路がなくて。尾張屋銀行が交番を潰したっていうんで、鉄筋で今度は交番を作った。
山下さん あの丸いのね。
相川さん その前は木でできたボックスだったんです。
佐藤さん それであの丸い交番がずっと戦後も残っていたわけですか。
馬場さん 袋町の交番は木ですよね。
相川さん 木でしたね。
佐藤さん 昔のトーチカじやないけど、すごい(木が)厚いですよね。その記憶はあります。
相川さん 夏は西陽があたるでしよ。お巡りさんが立っていて、一日中西陽で気の毒だってんで、町内で六月になると日よけを寄付するんです。町内から金もらって、その仕事はうちでやった。窓のところヘ上げ下げの葦簾を下げて、夜になると上げる。鉄筋だもんだから、焼けちゃうと暑くて中にいられないんです。天井が低いでしよ。あの上に葦簾を広げて周りに垂らす。カラカラっと巻き上げのね。
山下さん 終戦後は交番はあったけどお巡りさんはいなかったことがあったね。
相川さん ええ、そうなんです。
山下さん そのころ天利さんの仮小屋のところへ泥棒が入ってね。よく覚えてるけど、交番にお巡りさんがいなかったんだよね。目と鼻の先なのに。
相川さん この戦争後に交番もずいぶんなくなったんですよ。厚生年金病院にも交番があったし、袋町にあったし。大曲のところはいまだに残っていますね。
馬場さん ああ、ありますね。場所はちょっと移動したけどね。
相川さん あそこは寒いんですってさ。川の風が吹き上げてくるから。あそこは苦手だ、島流しだってね(笑)。確かに寒いや。それでこの隣はトウグ(陶具?)屋さんがあったんですが、そこを担保に取られて空き地になったんです。
馬場さん ここのところはあんまりはっきりしなかったんですよ。相川さんがいちばんよく知っているんだ。なんで空き地だったの?
相川さん 昭和銀行が建てるんで、担保に取った家だから、空き地にしといた。塀が二間ぐらいあって。だからお祭りやるときに、いつもその塀を壊してお神酒所にした。奥深いでしよ、だから表にお神輿をおいて、後ろがたまり場になっている。独立でできたんですよ。

東京区分職業土地便覧. 牛込区之部。大日本都市調査会。大正4年