新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14112は、市谷船河原町の逢坂を西向きに撮影しました。なお撮影時期は「昭和41年頃か?」となっています。
逢坂には円形のくぼみが沢山見えますが、これはOリングといって、自動車等の滑り止めです。
男性2人が逢坂を下り、男性3人と女性1人が立ち止まって話を交わし、男性1人が上っていきます。1人だけは長袖シャツとベスト、残りの男性は全て背広。木々は茂っていて、夏前か秋口でしょう。
逢坂(昭和41年頃) | |
|
|
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14112は、市谷船河原町の逢坂を西向きに撮影しました。なお撮影時期は「昭和41年頃か?」となっています。
逢坂には円形のくぼみが沢山見えますが、これはOリングといって、自動車等の滑り止めです。
男性2人が逢坂を下り、男性3人と女性1人が立ち止まって話を交わし、男性1人が上っていきます。1人だけは長袖シャツとベスト、残りの男性は全て背広。木々は茂っていて、夏前か秋口でしょう。
逢坂(昭和41年頃) | |
|
|
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 17088では、令和4年2月に西五軒町の真清浄寺付近から相生坂などを撮影しました。資料名は「真清浄寺前から相生坂を望む」となっています。相生坂は東西2つありますが、西側の坂です。坂には自動車等のすべりをとめるOリングと呼ぶ円形のくぼみができています。また、平成31年にほぼ同じアングルで撮った写真 ID 14061もあります。
相生坂(令和4年) | |
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 7804-7806とID 14104は地蔵坂(藁店)を撮ったものです。時期は「昭和41年頃か?」と書かれています。
西側の電柱はすべてコンクリート製で細い柱上変圧器がありますが、東側には木製のものもありました。車道は滑り止めのOリングを使い、下水は道路の側溝を流れています。
これは昭和41年(1966年)でしょうか? まず住宅地図が正しいとして考えます。
「旅館 竹兆」は住宅地図の昭和47年(1972年)にはなく、昭和48年(1973年)では出てきます。
昭和39年までには「松竹荘」は一軒だけですが、昭和40年から47年までは「田中医院」と一緒に出てきて、昭和48年には再び1軒だけの「松竹荘」として登場しますが、「歯科 佐々木」と一緒に出るのは全くありません。
「あかつき」は昭和49年に始めて出てきて、田口重久氏の写真でも昭和49年に出てきます。
つまり住宅地図が正確とすると、正しいのは昭和49年だけだと考えてしまいます。
しかし、ここで、まだ出ていない建物も考えます。地蔵坂と神楽坂通りを結ぶ場所にある武田芳進堂(現・八潮第二ビル)と中河電気(現・八潮ビル)です。武田芳進堂は昭和46年9月に、中河電気は昭和43年9月に大きなビルが完成しています。どちらも5階建てなので、見えるはずですが、ありません。ビルは完成するのに1年ぐらいかかるので、昭和42年以前にこの写真4枚が撮られたものです。つまり、この写真4枚が正しい場合、昭和42年よりも早く、たとえば昭和41年に、撮った方が正しいのです。
住宅地図についてはただただ印刷が遅すぎたようです。
地蔵坂(昭和41年頃) 正面突き当たりに相馬屋文具店 |
|
|
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8812は、昭和48年(1973年)2月、横寺町から見た朝日坂と神楽坂6丁目を扱ったものです。
歩道はなく、車道に〇リングで施工したこともなく、下水は道路の側溝を流れ、街灯は長い蛍光灯で、柱上変圧器もあります。左側の自動車はID 8807からID 8811まで遠くにある自動車と同じでしょう。
横寺町と神楽坂6丁目(昭和48年) | |
|
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8813~8819は、昭和48年(1973年)2月、神楽坂6丁目から横寺町までの朝日坂を撮ったものです。またID 466はID 8817と同じ写真です。
左にある自動車はバックドアを開き、はるか遠くにある自動車はID 8807からID 8820以上まで同じように停車し、さらにID 8815から見える自動車は、おそらく数十分後になると、なくなり、かわって八百政が店を開くはずです。
さらに、この撮影は昭和44年(ID 8273~8276)や、昭和45年(ID 8316)と同じ場所ですが、昭和47年12月、荒井精肉店は荒井ビルに変わり、昭和48年にはスーパーアライになっています。
歩道はなく、車道に〇リングで施工したこともなく、立木の葉は枯れ、下水は道路の側溝を流れ、街灯は長い蛍光灯で、柱上変圧器はかなり立派でした。
神楽坂6丁目と横寺町(昭和48年) | |
|
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8805とID 8806は、昭和48年(1973年)2月、神楽坂2丁目から坂上を撮ったものです。
休日の歩行者天国が始まっています。「歩道がそれ以前のブロック敷きからアスファルトになっています」と地元の方。一方、車道について、急勾配のコンクリート坂は滑り止めが必要ですが、これは道路表面に円形の〇リングを埋め込み、一定時間後にそれを取り除く方法をとっています。
街灯は円盤形の大型蛍光灯で、街灯から地面に行く途中に標識「神楽坂通り」があります。
電柱の上には大きな柱上変圧器があり、電柱看板も見られます。また遠くに「神楽坂通り/美観街」が見えています。
神楽坂2丁目(昭和44年) | |
田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」で、昭和49年(1974年)12月25日、横寺町から神楽坂6丁目までの朝日坂の写真を取り上げます(地図は下にあります)。歩道はなく、これでも対面通行で、下水は道路の側溝を流れ、電柱の上には柱上変圧器があり、専用の街灯はなく、電柱から電気をもらい蛍光灯があります。
坂が登りになると表面は他と比較して白色になりますが、〇リングは使わずに施工しと思われます。
朝日坂(横寺町→神楽坂6丁目)昭和49年 | |
|
田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」の地蔵坂で、昭和59年(1984年)10月6日の写真を上げておきます。坂の右側は神楽坂5丁目が主で、左側は袋町が主です(地図は下にあります)。歩道はあり、下水は道路の側溝を流れ、また坂が登りになると車道は滑り止めの〇リングを使って施工しました。自動車は対面通行でした。電柱の上には細い柱上変圧器もありますが、大きなものもありました。街灯は、恐らく水銀灯でしょう。
田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」の地蔵坂で、昭和49年(1974年)12月21日に撮影して。ほぼ同じ画角の05-10-45-2と比較します。
まず中央にある「竹兆」の電柱看板は、昭和49年はありません。さらに坂下には3階建ての建物から「八百美喜」の看板が出ていますが、昭和49年は2階屋でした。
「八百美喜」の手前の白いビルは、昭和49年は平屋でした。その手前の庭木は昭和49年より少し大きくなっています。白いビルの前に立つ電柱の街灯は同じ水銀灯のようです。この電柱の広告は「理髪モリワキ」で、昭和49年にも同じ場所に広告があります。昭和49年は斜め線らしき縁取り以外は判読できませんが、05-10-45-3と比べると同じ広告でしょう。
田口氏の昭和49年と昭和59年の写真の中間には、新宿歴史博物館の昭和54年(1979年)の写真ID 79-82があり、街の細かな変化が見て取れます。
ポスター「幼児のめんどう/みて下さる方を/求めています/お電話下さい」と木製の標柱「地蔵坂(じぞうざか)」が見えます。
標柱は「この坂の上に、光照寺があり、そこに地蔵菩薩がある。それにちなんで、そう呼ばれている。また。別名藁店坂ともいう。このあたりに藁を売る店があった。」
田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」の地蔵坂で、昭和49年(1974年)12月21日の写真を上げます。坂の左側は神楽坂5丁目が主で、右側は袋町が主です(地図は下にあります)。歩道はあり、下水は道路の側溝を流れ、また坂が登りになると車道は滑り止めの〇リングを使って施工しました。自動車は対面通行でした。電柱の上には細い柱上変圧器もありますが、大きなものもありました。街灯は、恐らく水銀灯でしょう。。
地蔵坂(藁店)昭和49年 | |
新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID 8020を見ましょう。撮影は神楽坂3丁目から坂上をねらっています。車道はゴム製リング(〇リング)でつけた滑り止めのドーナツ状の窪みがあります。〇リングが終える時、つまり、ここでは小料理の万平が終わる時に、坂も終わります。歩道はややサイズの大きい平らな正方形のブロックです。また、街灯は丸い巨大蛍光灯です。
新宿歴史博物館ではこの写真は昭和30年代だといいますが、右手の背の高い所にある提灯をよく見て下さい。5文字があり、ID 8019と同じ「神楽坂百年」なのです。したがって、昭和43年だと思います。
神楽坂3丁目(昭和43年) | |
|
|
新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID 8019を見ましょう。年は1968年(昭和43年)、月は「神楽坂百年」の提灯があり、頭に浮かぶのがID 8018(「目で見る神楽坂百年写真展」、10月15日~10月25日)で、おそらく10月。撮影は神楽坂2丁目から坂下をねらっています。車道はゴム製リング(〇リング)でつけた滑り止めのドーナツ状の窪みがあります。歩道はややサイズの大きい平らな正方形のブロックで、街灯は丸い巨大蛍光灯です。
神楽坂2丁目(昭和43年) | |
神楽坂 加藤倉吉氏作の銅版画『神楽坂』(昭和47年)(植村峻氏『日本紙幣肖像の凹版彫刻者たち』、2010年)
神楽坂入口から坂上方向 新宿歴史博物館 ID 65
坂のある街
1966(昭和41)年、メトロアーカイブの「坂のある街」(インターネット)から
年代:1966(昭和41)年 路線:東西線 駅: 神楽坂 カテゴリ:街の様子 坂と小路の街、神楽坂。写真の神楽坂通りは日本でも珍しい「逆転式一方通行」(進行方向が午前と午後で逆転する)が実施されている。
参考。神楽坂の今昔1