内館牧子氏が書いた「BU・SU」です。主人公は森下麦子で、神楽坂で芸者になろうとやってきた高校生。妓名は鈴女。置屋は蔦屋。1987年に初めて講談社X文庫で出版し、1999年に講談社文庫になっています。初版は30年も昔なのですね。
まず本の最初は、BU・SUという言葉について……
「顔が悪い」って、とっても悲しいことなんだ。女の子にとって。 なのに、男の子ってすごく平気で、 「BU・SU」 って言葉を使うのね。 BU・SU。 何て悲しい響きなんだろ。 何で世の中には、可愛い人とBU・SUがいるんだろ。 何で、私はBU・SUの方に入る顔で生まれちゃったんだろ。 「顔が悪い」って、本人が一番よく知ってるの。 男の子に、 「BU・SU」 なんて言われなくたって、本人が一番よく知ってるのよ。 |
そこで麦子は神楽坂に行こうと決心し、実際に行ってしまいます。でもあまり大したものは起こらない。神楽坂についても同じです。
神楽坂というのは、とても不思議な町。 町のどまん中を、ズドーンと坂が通っている。 町そのものが坂なの。 坂のてっペんに立って、坂の下の方を見おろすと、町全部が見えちゃうみたいな。 東京のサンフランシスコ。 坂の両側はギッシリと商店街で、まん中へんに有名な毘沙門天が祀られている善国寺があるんだけど、朝夕ここから聞こえてくる木魚の音がとってもいい。 ポクポクポクなんていう木魚じゃない。木の板をガンガン叩くんだもの。 だからすごくリキが入ってて、サイドギターがリズムきってるみたいな、独特のリズム。 この坂から、もうクネクネとわけがわかんなくなるくらい路地や階段が入りくんでいるの。 昔ながらのおセンベ屋さんもあるし、銭湯もあるし、粋な料亭もあるし、道路で子供が缶ケリなんかしていて、「新宿区」とは思えない昔風の町。 毘沙門天の「ガンガン木魚」を朝夕聞いて生きてる人たちだから、ちょっとやそっとのことじゃ驚かない。 でも……。 驚いていた。 みんな、町行く人はみんな、カナしばりにあったみたいに驚いていた。 だって、蔦屋の姐さんたちを乗せた人力車が四台つらなるその後を、鈴女が走ってるんだもの。 着物にスニーカーだよ。着物にスニーカー! 町の人は誰も声さえ出せずに、鈴女を見ている。 缶のかわりに思わず自分の足をけっちゃった子供だって、泣くのをやめて見ている。 だけど、人力車を引くのはプロのニイさんたち。 とても、鈴女がついていけるようなナマやさしい速度じゃない。 鈴女は着物のすそをはためかせ、顔を真っ赤にして走るんだけど、全然ダメ。 足はもつれるし、息はあがるし、それにみんなの視線が恥ずかしくて、顔は地面を向きっぱなし。 「ガンバレ!」 「着物、たくっちゃいなッ」 「イヨッ! 蔦屋の鈴女ッ」 沿道から声がかかり始めた。 そのうちに、子供たちは缶ケリよりおもしろそうだと、一緒に走り出した。 これが鈴女より全然速いんだもの……。 子供の数はどんどん増えて、ジョギングしていたおじいさんたちまで入ってきた。 ほとんどパレードだ、こりゃ。 鈴女はこのまま心臓が止まってくれればいいと思った。 坂道を大きな夕陽が照らしている。 |
2つ、わからないので、質問を出してみました。
1つ目は「木の板をガンガン叩く」。これは、なあに? 善国寺に聞いたところ、木柾というものでした。日蓮宗では木魚はほとんど使わず、代わりにテンポが早い読経には江戸時代より木柾という仏具を使うそうです。
下は実際に善国寺の木柾の音です。
2つ目は、神楽坂で人力車を使うって、本当にできるの? 平地の浅草ならできるけれど、相手は坂が多い「山の手」だよ。
赤城神社の結婚式をあげ、人力車に乗り、そのまま下ってアグネスホテルにいくのではできる。1回だけ人力車に乗り、神楽坂を下がるのもできる。しかし、1回が30分間以上となり、人力車の観光や旅は、神楽「坂」ではまずできない……と思う。1回か2回はやることができるけれど、数回やるともうやめた……となるはず。昔は「たちんぼ」といって荷車の後押しをして坂の頂上まで押していく人もいました。