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牛込濠(写真)新見附橋から ID 6898 昭和27年?

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 6898では、カメラを新見附橋に置き、牛込濠や新宿区側の建物などを撮影しました。撮影日は不明です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 6898 外堀飯田橋付近 日仏学院、東京理科大学

 このID 6898とID 14743や14744とを比べてください。よく似ています。どちらも日仏学院と研究社、東京理科大学が目立ちます。逆に1959年(昭和34年)に竣工した家の光会館は見えません。
 国電の高圧電線の碍子や、桜樹が裸木になっている様子もそっくりです。左側の焼却炉の煙突も同じように確認できます。
 おそらく同一(昭和27年9月)か、あるいはよく似た時期に写真を撮ったものでしょう。
 建物の名称はID 14743や14744と同じです。それ以外では向こう正面に神楽坂下のボート乗り場があり、左に神楽坂警察署の切妻屋根が、右には牛込橋や中央・総武線の線路が見えています。
 さらに奥の高台の建物は、文京区の中央大学富坂校舎でしょう。
 写真右の千代田区側は土手公園(現・外濠公園)です。東京逓信病院などがありますが、土手越しなので見えません。

総武線・飯田橋行き

文学と神楽坂

 地元の方から「総武線・飯田橋行き」というエッセイです。かつて「飯田橋行き」があり、これは線路の跡を見ればわかったといいます。

1980年代まで、千葉方面から来る総武線各駅停車(中央・総武緩行線)に「飯田橋行き」があったことを記憶している方もいるでしょう。通勤時のピストン輸送を、日中の少ない本数に減らす調整などの目的があったと思います。乗客を降ろした電車は新宿方の引き込み線に入り、時間をおいて折り返しの飯田橋始発になりました。

その引き込み線の写真が、田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」にあります。
02-00-53-02 ホーム旧跡 1972-06-10

02-00-53-02 ホーム旧跡 1972-06-10 田口重久「歩いて見ました東京の街」

02-00-72-02 市谷方面を 1992-07-01

02-00-72-02 市谷方面を 1992-07-01 田口重久「歩いて見ました東京の街」

の2枚です。いずれも牛込橋から見下ろした写真で、手前の駅側から新宿方に向けてY字の引き込み線が見えます。長いこと運用されていたことが分かります。

ここは戦前の「牛込駅」の跡地なので、田口氏は「ホーム旧跡」という説明をつけたのでしょう。かつてのホームはお堀側にあり、乗降客は写真の橋を渡ってボート乗り場(現・カナルカフェ)の場所を抜け、神楽坂に向かったそうです。

2020年、飯田橋駅改良工事として牛込駅跡の直線部分に新しいホームが出来ました。

 では、ちょっと昔から現在までです。

牛込橋から飯田橋駅を見る。2014.9.21

牛込橋から飯田橋駅を見る。2017.7.14

2012.6.20 飯田橋駅


ミスターダンディー(写真)本多横丁、三つ叉横丁、牛込橋 昭和49年

文学と神楽坂

 雑誌「Mr. DANDY」(中央出版、昭和49年)に「キミが一生に一度も行かない所 牛込神楽坂」を出しています。

 この1974年に起きたことを簡単に挙げると、総理大臣は田中角栄、「金権選挙」を展開するも、参議院は過半数以下。逆に、ジャーナリストの立花隆が文藝春秋に「田中角栄研究」を掲載。ついに11月、首相は退陣。
 小野田寛郎元少尉はルパング島で30年ぶりに発見され、また巨人軍の長嶋茂雄選手は引退。米国では、ニクソン大統領は「ウォーターゲート事件」のため、辞任しました。

 最初の写真は「戦前から同じ場所にあった大野屋足袋店。看板も、柱に貼ってある札も読めます」と地元の方。場所は本多横丁。家は材木と瓦でできたもので、エアコンはあっても1台だけでしょう。

大野屋足袋店

 次の写真(下図)に行きます。左側の家は「戦前からの名店・呉服の柏屋」と地元の方。右側は住宅地図では個人名になっていますが、「珍味堂のはず。テントがあるのに個人宅はおかしい。建物も珍味堂と同じ。ぶら下がっている板状のものは、最後まで使っていた木の看板じゃないかな」と地元の人。場所も本多横丁です。

呉服の柏屋

1976年。住宅地図。

 3枚目の写真は「三つ叉横丁の角」と説明する地元の方。「みよし」は料亭、白鷹マークがある看板には炉ばた焼きの「1丁」。白鷹は日本酒の銘柄。左側の横丁は「三つ叉横丁」で、右側は「見番横丁」と、それぞれ名前がついています。
 一部を拡大すると、下は赤色は神楽坂演芸場の跡で、見番の駐車場になっています。


1976年。住宅地図。

 次の写真は、どこにでもありそうな光景で、実際には見たことはなく、全く不明。

 最後は一代前の牛込橋。現在の橋は平成8年に架け替えられたもの。一代前の橋は「ぼくの近代建築コレクション」でも出てくる。近くの瓦屋根の1棟は昔のボート乗り場。その隣で真っ黒な1棟は神楽坂1丁目の1軒で、上がる道路からは一段低い。遠くの中央1棟は「家の光」、右の2棟は東京理科大のビル。

牛込橋