現在の神楽坂5丁目のPaul神楽坂店ができるまでの、波瀾万丈で、人間味が一杯の物語です。そして、ポール神楽坂ができました。なお、以下の図はすべて住宅地図から取っています。
➊ 昭和38年(1963年)
最初は昭和38年(1963年)➊。東側から尾沢薬局(ここは神楽坂4丁目の最後です)、サンエス洋裁店(ここから神楽坂5丁目が始まります)、パチンコの東莫会館、KK牛込水産、洋菓子のハマムラ、倉庫、文房具の相馬屋、万長酒店、倉庫と並んでいます。
次は昭和42年(1967年)➋です。1つだけが変わっています。倉庫だったのが、日本勧業信用組合に変わっているのです。実際に、昭和40年、日本勧業信用組合の本店が新宿区神楽坂5-3に移ってきました。
昭和45年(1970年)➌、地元の人は、東莫会館は「模型自動車のコース」や「遊戯場になってい」たようですが、そこを「勧信が買収し、駐車場にしました」といいます。実際、名前も「日本勧業信用組合〇〇」に変わっています。どうして離れた場所にしたの? 場所がなかったのです。隣同士がいいとわかっていました。
昭和46年(1971年)、日本勧業銀行と第一銀行が合併し、第一勧業銀行が誕生し、この組合の名称も第一勧業信用組合に変更しました。
➍ 昭和55年(1980年)
昭和55年(1980年)➍、さらに第一勧業信用組合の駐車場になります。まだ、牛込水産とかやの木はまだなくなりません。勧信はじーっと見ている以外に方法はありません。
昭和57年(1982年)、勧信本店を四谷に移して、神楽坂は支店に格下げになっています。
平成2年(1990年)➎には、やっと牛込水産とかやの木はなくなりました。30年前から、大きな土地になる、と第一勧業信用組合は思っていたはずなのですが…… が、この「2店舗(牛込水産、かやの木)を地上げした業者が、勧信に高値の買い取りを迫り、『買わなきゃビル建てるぞ』って。大もめに揉めて、駐車場というより空き地のまま数年間」時間だけが過ぎていったと、地元の人はいいます。
➏ 平成22年(2010年)
平成22年(2010年)➏、第一勧業信用組合は、あきらめたのか、相馬屋の西(万長酒店と同じ場所)に店舗を建てています。一方、「ゴネた業者は旧勧信本店の土地の一部をあわせる形で、今のPaulのビル(仮称、野本ビル)を建て」ましたと、地元の人。
最終的に令和2年(2020年)➐になりました。「土地の区切りも変わっているんです。旧勧信は、今のうお匠のビルより間口が広かったと記憶しています」。おそらく憶測すると、勧信が元の場所は要らなくなって、土地を買った人の間で話しあって、今のビルが建ったのではないかと、地元の人。
「商店街ならではの揉め事ですね」と、地元の人。
➐ 令和2年(2020年)
北西 | 南東 | ||||||
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大正11年前 | 相馬屋 | 宮尾仏具S | 額縁屋(ブロマイド) | 尾沢薬局 | |||
大正11年頃 | 東京貯蓄銀行 | 小谷野モスリン | 神楽屋メリンス | 大和屋漆器店 | 上州屋履物 | ||
戦後 | つくし堂(お菓子) | 藪そば | |||||
1930年 | 巴屋モスリン | 松葉屋メリンス | 山本コーヒー | ||||
1937年 | 3 | 2 | 2 | 2 | ソバヤ | ||
1952年 | 空ビル | 宮尾仏具 | 牛込水産 | 東莫会館パチンコ | サンエス洋装店 | ||
1960年 | 空地 | 喫茶浜村 | 魚金 | ||||
1963年 | 倉庫 | 洋菓子ハマムラ | 牛込水産 | ||||
1965年 | かやの木(玩具店) | 魚金 | |||||
1976年 | 第一勧業信用組合 | 第一勧業信用組合 駐車場 | 第一勧業信用組合 駐車場 |
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1980年 | サンエス洋装店 | ||||||
1984年 | (空地) | 寿司かなめ等 | |||||
1990年 | 駐車場 | 駐車場 | 郵便局 | ||||
1999年 | ナカノビル | コアビル(とんかつなど) | |||||
2010年 | 空き地 | ベローチェ | |||||
2020年 | 相馬屋 | 神楽坂TNヒルズ (焼肉、うを匠など) | 神楽坂テラス (Paulなど) | コアビル (とんかつ) |