サトウハチロー著『僕の東京地図』(春陽堂文庫、昭和11年)の一節です。話は牛込区の都館支店という下宿屋で、サトウハチロー氏が都館に住んでいた宇野浩二氏を崇拝していたと言っています。
牛込郷愁 牛込牛込館の向こう隣に、都館支店という下宿屋がある。赤いガラスのはまった四角い軒燈がいまでも出ている。十六の僕は何度この軒燈をくぐったであろう。小脇にはいつも原稿紙をかゝえていた。勿論原稿紙の紙の中には何か、書き埋うずめてあった。見てもらいに行ったのである。見てもらいには行ったけど、恥ずかしくて一度も「之を見てください」とは差し出せなかった。都館には当時宇野浩二さんがいた。葛西善蔵さんがいた(これは宇野さんのところへ泊まりに来ていたのかもしれない)。谷崎精二さんは左ぎっちょで、トランプの運だめしをしていた。相馬泰三さんは、襟足へいつも毛をはやしていた、廣津さんの顔をはじめて見たのもこゝだ。僕は宇野先生をスウハイしていた。いまでも僕は宇野さんが好きだ。当時宇野先生のものを大阪落語だと評した批評家がいた。落語にあんないゝセンチメントがあるかと僕は木槌を腰へぶらさげて、その批評家の家のまわりを三日もうろついた、それほど好きだッたのである。僕の師匠の福士幸次郎先生に紹介されて宇野先生を知った、毎日のように、今日は見てもらおう、今日は見てもらおうと思いながら出かけて行って空しくかえッて来た、丁度どうしても打ちあけれない恋人のように(おゝ純情なりしハチローよ神楽坂の灯よ)……。ある日、やッぱりおず/\部屋へ這入って行ったら、宇野先生はおるすで葛西さんが寝床から、亀の子のように首を出してお酒を飲んでいた。肴は何やならんと横目で見たら、おそばだった。しかも、かけだった。かけのフタを細めにあけて、お汁をすッては一杯かたむけていた。フタには春月と書かれていた。春月……その春月はいまでも毘沙門様と横町を隔てて並んでいる。おそばと喫茶というおよそ変なとりあわせの看板が気になるが、なつかしい店だ。 |
牛込牛込館、都館支店 どちらも袋町にありました。神楽坂5丁目から藁店に向かって上がると、ちょうど高くなり始めたところが牛込館、次が都館支店です。現在は牛込館はLiberty houseと神楽坂センタービルに、都館支店はLog Salonに当たります。
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軒燈 家の軒先につけるあかり
襟足 えりあし。首筋の髪の毛の生え際
大阪落語批評家 批評家は菊池寛氏です。菊池氏は東京日日新聞で『蔵の中』を「大阪落語」の感がすると書き、そこで宇野氏は葉書に「僕の『蔵の中』が、君のいふやうに、落語みたいであるとすれば、君の『忠直卿行状記』には張り扇の音がきこえる」と批評しました。「張り扇」とは講談や上方落語などで用いられる専用の扇子で、調子をつけるため机をたたくものです。転じて、ハリセンとはかつてのチャンバラトリオなどが使い、大きな紙の扇で、叩くと大きな音が出たものです。
木槌を腰へぶらさげて よくわかりません。木槌は「打ち出の小槌」とは違い、木槌は木製のハンマー、トンカチのこと。これで叩く。それだけの意味でしょうか。
かけ 掛け蕎麦。ゆでたそばに熱いつゆだけをかけたもの。ぶっかけそば。