『東京を歌へる』(牛込区)短歌の部②です。
橘 宗利
市 ヶ 谷 見 附
ふかぶかと夕かげしづむ高臺に泰山木のおもおもしき花 満員の電車をおりてわが往くや外濠の州には草の丈ながき 濠の面の薄氣味わろき靑みどろ五月雨はまだあがらぬならむ 山の手は夕刊はやし皈り來て服をも換へずまづひろげ見る 裏の家に宵鶏なけり地をゆりて刑務所のかたへ自動車過ぎつ |
[現代語訳] 深く夕方の日光が沈む時に高台の高山の木はいかにも重たそうな桜の花。 満員の電車から降りて、私が行く外堀の中州では、草の丈は長い。 濠の表面にある薄気味わるい青みどろ。梅雨はまだあがらないのだろう。 山の手の夕刊は早い。帰ってきて服も換えずに、まず夕刊を拡げて見る。 夕闇が始まる時に、裏の家の鶏は鳴いた。鶏は地面を揺らし、自動車を通り過ぎ、刑務所の方面に行った。 |
橘宗利 たちばなむねとし。歌人。東京府立三中、開成高校教諭を歴任。大正6年「珊瑚礁」を創刊。「あさひこ」に参加。生年は明治25(1892)年3月3日。没年は昭和34(1959)年7月30日。享年は満67歳。
ふかぶか 深くゆったりと。非常に深い
夕かげ 夕陰。夕影。夕方の日光。日暮れの微光。
高臺 高台。たかだい。周囲の土地よりも高く、頂上が平らになった所
泰山 たいざん。高い山。大山。中国山東省の名山。
おもおもしき 重重しい。いかにも重そうだ。
花 平安時代以降は花は桜でした。おそらくここでも桜でしょう。
州 川・湖・海の底に土砂がたまって高くなり水面上に現れた島。す。なかす。
面 「も」では「おもて、表面」の意味
青みどろ アオミドロ。接合藻類ホシミドロ科の淡水産の藻類。日本に見られる種類は約79種
五月雨 陰暦5月ごろに降りつづく長雨。梅雨。
ならむ …だろう。…なのだろう。
皈る 「帰る」の俗字。
宵 夜。日が落ちてくらくなった時。
ゆりて ゆらす。揺らす。ゆり動かす。ゆれるようにする。
矢 來 町
金 子 薫 園
括草を藉きて見やれはわが家ある矢來の町は入日のもとに 早 稻 田 田 圃
古 泉 赤 彦
まつさをき石龍苪の莖の太莖ゆ消えたち揃ふ稚落さびしき 海 上 胤 平
早稻田の里わをそぞろあるきして 法 月 歌 客
早稻田田圃茗荷畠の影をなみ大學町となりて久しき |
[現代語訳] 雑草を敷き、見ると、わが家の矢来町は夕日のもとに。 真緑のタガラシの茎は太茎のため消えていく。このそろった幼い茎が落ちていくのはさびしい。 早稲田で人里のある周辺を散歩して 実った稲の穗はなびき、仮建物ばかりの早稲田の秋こそが、ゆったりできる。 早稲田の田んぼの茗荷畑は今は影も形もなく、大学町となってから久しい。 |
金子薫園 かねこくんえん。歌人。和歌の革新運動に参加。明星派に対抗して白菊会を結成。近代都市風景を好んで歌った。生年は明治9年11月30日、没年は昭和26年3月30日。享年は満75歳。
括草 不明。「括」は「カツ、くくる、くびれる」で「入り口を締めくくる」「前後から中のものを囲む」「ばらばらのものを一つにまとめる。ひとまとまりにする」など。「活」は「勢いがよい。いきいきとしている」。増えた雑草のこと?
藉す 敷き物にする。
入日 いりひ。入り日。西に沈もうとする夕日。落日。
古泉赤彦 不明
早稲田田圃 この写真は早稲田の田圃と東京専門学校(のちの早稲田大学)の校舎です。
まつさを まっさお。真っ青。全く青い。青ざめる。
石龍苪 たがらし。田芥。キンポウゲ科の越年草。田や湿地に見られる(図)。
ゆ 動作作用の起点。…から。比較の基準。…に比べて。…より。動作の手段方法。…によって。…で
たつ 「たつ」には沢山の意味がある。一部をあげると、縦になる、起き上がる、空中に上がる、飛び上がる、明らかになる、盛んに気泡が生じる、たかぶる。動詞の連用形のあとに付いて複合語をつくり、その状態が盛んであることやにわかであることを表す。
揃う そろう。二つ以上のものの、形や大きさなどが同じになる。整然と並ぶ。全体が一つにまとまる。調和する。必要なものが全部ととのう。
稚 ち。わかい。まだ十分成長していない。
落 物がおちる。草木の葉がおちる。重力にまかせて下にゆく。低くなる。衰える。力を失う。
海上胤平 うながみたねひら。歌人。民間歌人として評論を発表。五七調正格説などを主張。出生は文政12年12月30日。没年は大正5年3月29日。享年は満88歳。
里わ 里曲。人里のあるあたり。
八束穂 やつかほ。よく実った長い稲。
しほ しほ。支保。弱い立場にある人を支え保護する。トンネル工事などで、落盤・落石などを防ぐため、天井や坑壁を支持する構造物。「かりしほ」は「仮支保」か?
ゆたけき 豊けし。ゆったりしている。広々としている。
茗荷 ミョウガ。多年草で食用(図)。
法月歌客 歌人。著作は「恋愛の音楽家」「女詩人サッフオ」「砂丘:歌集」など。他は不明。
をなみ 「Aを+形容詞語幹+み」は、「AがBなので」。「影がないので」