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稲垣足穂の「弥勒」|鳥居秀敏

文学と神楽坂


『よこてらまち今昔史』(新宿区横寺町交友会・今昔史編集委員会、2000年)の「横寺町と近代文芸」で、鳥居秀敏氏が稲垣足穂氏の作品を取り上げています。足穂氏は戦前に横寺町にいた異質の小説家です。また、鳥居氏は横寺町の、まあ言ってみればこの時代の長老格で、『よこてらまち今昔史』の編集顧問であり、さらに鳥居一家は小説家の尾崎紅葉氏の大家でもありました。

       横寺町での足穂の生活

 足穂が横寺町へ越して来たのは昭和12年の5月で、戦災で焼け出される昭和20年4月までの8年間、37番地の東京高等数学塾に暮らしていました。岩戸町の法正寺とは背中合せで、牛込幼稚園と棟続きだったようです。足穂38才から46才のことでした。
 「横寺日記」によれば、足穂は思い出したように神楽坂の盛文堂へ出掛けて、野尻抱影の「星座巡礼」を買い求め、南蔵院と向い合せの崖の上(石段わき)から、牽牛織女白鳥カシオペアペガサスを見たり、また家の裏手でオリオン双子を見ながら用をたしたりしています。それは決して自然科学の眼ではなく、月を見れば月面から月美人の横顔を追い求めるような足穂独得の眼で、星を愛するには天文学はいらないとも言っています。プラネタリウムは幻燈仕掛けの錯覚に過ぎず、星に通ずるものを持っていない、と言いながら、毎日会館のプラネタリウムへ何度も足を運んでいたようです。
 この「横寺日記」にはほとんど星のことばかり書いており、足穂の生活ぶりを十分読み取ることが出来ませんが、眼鏡を質に入れたり出したりする話が出て来ます。借りる額は50銭か1円ですが、緊急の際には1円50銭も借りられたそうです。飯塚酒店にしろその質屋にしろ、足穂にはどこか助けてやりたくなるようなものがあったのかも知れません。足穂の半自伝的小説といわれる「弥勒」の中から、横寺町の出て来る部分を抜萃してみましょう。

都市製図社製『火災保険特殊地図』(昭和12年)から

黄色は東京高等数学塾だった現在の建物。

東京高等数学塾 上図で青色の建物。その左に「東京高等数学塾」と書いてあります。
法正寺 上図で右の赤い建物です。
牛込幼稚園 上図で青色の建物。建物の中央部に「牛込幼稚園」
横寺日記 昭和23年、「文潮」に「きらきら日誌」として発表。当時の住所は横寺町。星座を中心にまとめたもの。
野尻抱影 のじりほうえい。ジャーナリスト。随筆家。1906年、早稲田大学英文科卒業。主に星のロマンチシズムを語った。生年は1885年11月15日、没年は1977年10月30日。享年は満91歳。
星座巡礼 1925年『星座巡禮』(研究社)として発売。現在も『新星座巡礼』として販売中。四季の夜空をめぐる星座の数々を月を追って紹介。
南蔵院 箪笥町にある真言宗豊山派の寺院。図では下の赤丸。
牽牛 わし座のアルファ星。アルタイル。『新星座巡礼』では8月に。
織女 こと座のアルファ星。ベガ。『新星座巡礼』では8月。
白鳥 はくちょう座。アルファ星はデネブ。『新星座巡礼』では8月。
カシオペア カシオペア座。「W」形の星座。北極星を発見する方法の1つ。『新星座巡礼』では9月。
ペガサス 正しくはペガスス座。胴体部分は「ぺガススの大四辺形」。『新星座巡礼』では9月。
オリオン オリオン座。アルファ星はベテルギウス。ベータ星はリゲル。真ん中に三ツ星。『新星座巡礼』では1月。
双子 ふたご座。アルファ星カストル。ベータ星ポルックス。『新星座巡礼』では1月。
会館 『横寺日記』では丸ノ内のプラネタリウムに行ったことが書かれていますが、「毎日」ではありません。
弥勒 昭和14年から部分的に発表し、昭和21年、最終的に小山書店から『彌勒』を発行。

 行全体だけが下げる場合は稲垣足穂氏の書いている部分です。

 このたび上京してから、牛込の片辺りの崖上の旧館に部屋を借りるまでには、約五ヵ月を要した。この樹木の多い旧旗本屋敷町の一廓は、或る日その近くの出版社からの帰途に、抜け道をしようとして通りかかったのだが、なんとなく好きになれそうであった。近辺には蜀山人の旧跡があったし、当座の住いに定めた青蔓アパートの前には、お寺の墓地を距てて、尾崎紅葉の家があった。明治末から大正初めにかけて名を謳われた新劇女優が自ら縊れた所だという樺色の芸術倶楽部も、そのままに残っていた。このならびに、年毎に紙を張り重ねて、今は大きな長方形に膨れ上がった掲け看板に、「官許せうちう」と大書した旧い酒造があって、その表側が濁り酒や焼酎を飲ませる店になっていた。この縄暖簾へ四十年間通い続けたという老詩人の話を、彼は耳にした。その人はいまは板橋の養老院へはいっていたが、少年時代の彼には懐かしい名前であった。閉じ込められている往年の情熱詩人からの便りが、殆んど数日置きに酒屋の主人並びにその愛孫宛に届けられていたが、破れ袴の書生の頃、月下の神楽坂を太いステッキを打ち振って歩いた日々を想い浮べて、詩人が最近に葉書にしたためて寄越したという歌を、彼は縄暖簾の奥の帳場で見せて貰った。「神楽坂めぐれば恋し横寺に鳴らせる下駄は男なりけり」――巴里のカルチエ・ラタンとはこんな所であろうかと、彼は思ってみるのだった。実際、この高台の一角には夢が滞っていた。そしてお湯屋も床屋も煙草屋も一種の余裕を備えていた。ちょっと断わりさえすれば、いつでもよいから、と云って快よく貸売してくれるのだった。

 その日の食べる物にも困る貧しい生活をしながら、足穂は横寺町が大変気に入っていたようです。ここに出て来る老詩人は兒玉花外でしょうか。今でいえばアルコール依存症という状態だったと思いますが、足穂は晩年まで創作をつづけ、昭和52年、数え年78才で京都で亡くなりました。

河出書房新社『新文芸読本 稲垣足穂』(1993年)

一廓 一つの囲いの中の地域。
出版社 新潮社でしょう。
蜀山人 しょくさんじん。大田おおた南畝なんぽの別号。江戸後期の狂歌師・戯作者。
青蔓 あおずる。薬用植物。ツズラフジ科の落葉つる性植物。あるいは単に緑色のつる。
アパート 上図では最左端の黒丸が「最初のアパート」でした。昭和12年、都市製図社の『火災保険特殊地図』ではここは「旺山荘」でした。
縊れた くびれた。縊れる。首をくくって自殺する。
官許せうちう 「官許かんきょ」とは「政府が特定の人や団体に特定の行為を許すこと」。「せうちう」とは「しょうちゅう、焼酎」で、日本の代表的な蒸留酒。焼酎の製造を特に許すこと。
酒造 酒をつくること。造酒。
酒造家 ここに飯塚酒場がありました。上の地図を参照。
濁り酒 発酵は行うが、かすしていないため、白くにごった酒。どぶろく。
縄暖簾 なわのれん。縄を幾筋も結び垂らしたのれん。店先に縄暖簾を下げたことから、居酒屋・一膳飯屋
老詩人 兒玉花外のこと。
板橋の養老院 東京府養育院でしょう。現在は東京都健康長寿医療センターに変わりました。
カルチエ・ラタン Quartier latin。直訳では「ラテン街」。ソルボンヌ大学を始めとする各種大学や図書館があり、学生街としても有名。
貸売 かしうり。け売りと同じ。一定期間後に代金を受け取る約束で品物を売ること。


弥勒|稲垣足穂

文学と神楽坂

 昭和15年、稲垣足穂氏の書いた「弥勒みろく」です。氏は異質の新感覚派の小説家で、昭和12年から昭和20年まで、牛込区(現新宿区)横寺町の東京高等数学塾で暮らしていました。

 結局要求は容れられ、その日の正午まえには、再び元の横寺町へ帰ることができた。青い一廓、青い焔の爆発のようにあちらこちらに噴出した樹々の他に、家のも、内科医院の建物も、用水樽も、申し合わしたようにに青ペンキが塗られていた。只江美留には、人に貰った青い背広がすでに失くなり、これはもう戻ってこないという事情があった。この時にもヒルティー紳土助勢を買って出て、青アパートの横の小路の突当りにある、古い、巨きな空箱のような建物へ話をつけてくれた。私立幼稚園だったが、反対側には「東京高等数学塾」という札が懸かっていた。二方に窓が付いている二階六畳のすぐ下が墓地で、朱塗の山門と本堂が向うにあって、木魚の音が聞えていた。朝になると、子供たちが先生お早うございますと云いながら集つてきて、裏庭でブランコが軋り出す。やがてピアノの音につれて、足踏みと合唱が始まる。階上広間の机と椅子が積上げてある所では、絶えずチョークの音がしていた。同宿の物理学校の学生や受験準備中の者が、黒板に図形を引いているのだった。幼稚園を経営している中年婦人のお父さんが塾長で、もう八十歳だということであったが、見たところは六十にもなっていないようだった。「とにかく俗人じゃないね」と最初の日にその姿を見た友人が洩らしたが、この言葉はいろいろな機会において江美留の前に立証され出した。このK先生は毎朝五時に起きると、水を満した大形バケツを両手にさげて、幾回も廊下づたいに洗面所まで運ぶ。それから教室脇の私室のテーブルに倚りかかって、見台に載せた独逸語の原書に向っているが、その足許の火鉢には年じゅう炭は認められない。夜の九時頃、この老数学者が勝手元でひとりで食事をしているのを、薬罐の水を汲みに行ったついでに見た者があった。「それが煮焚きした、つまり湯気を立てているようなものじゃないんだ」と報告者は先生のおかずについて告げた。「冷たい煮豆のような、それが何であるか判らぬような皿が前に置いてあった」

 東京高等数学塾はここにありました。

都市製図社製『火災保険特殊地図』(昭和12年)。東京高等数学塾は赤色で

黄色は東京高等数学塾だった現在の建物。


一廓 いっかく。ひと続きの地域。
 ひさし。家屋の開口部の上にあり、日除けや雨除け用の小型屋根。
江美留 えみる。主人公の名前
すでに失くなり 質草として取られ
もう戻ってこない 質草の所有権がなくなる。流れた。
ヒルティー カール・ヒルティ(Carl Hilty)。1833年-1909年。スイスの下院議員。著名な文筆家。敬虔なキリスト教徒。著者は『幸福論』『眠られぬ夜のために』など。
ヒルティー紳士 ヒルティが大好きな男性。『弥勒』によれば「ヒルティー愛読家には、彼の方から初めて話しかけたのであるが、その紳士は以前、江美留の学校とは隣り合せの神戸高商に籍を置いて、ボートの選手だったのだそうである。それは江美留が中学初年生であった頃に当る。そしてこの時分、紳士の念頭には、元町の「三つ輪」の鋤焼の厚いヒレ肉と「福原」の芸者遊びしかなかったが、その後は本を読むことと仕事の上に向けられた。仕事とは曖昧であるが、それはまたそれでよい、そんなふうなものだと紳士は云った。それで昔の仲間は今日では殆ど重役級にあるらしかったが、本人は別に何をやってきたわけでもなく、今はこの縄暖簾で上酒の徳利を煩けているのだった。」この「縄暖簾」は飯塚酒場のことで、横寺町にありました。
助勢 手助けすること。加勢。
 いらか。屋根の頂上の部分。屋根やねがわら
山門 寺院の門。かつての寺は多く山上にあったから。
木魚 もくぎょ。経を読む時にたたく木製の仏具。禅寺で合図に打ち鳴らす魚板ぎょばんから変化したもの。
足踏み 立ち止まったまま両足で交互に地面や床の同じ所を踏むこと
見台 けんだい。書物をのせて読む台。書見台の略。
勝手元 かってもと。台所。台所のほう。
薬罐 やかん。薬缶。中に水を入れ湯を沸かす調理器具。右図を。