明治35年、西村酔夢氏が『文芸界』に書いた「夜の神楽坂」その2です。
▲服裝 と來たらあはれな者で、新柳二橋の藝妓が衣裳を三井や大丸へ誂へるのと違ひ、これは土地の石川屋、ほていやなどで拵えるのだが、價が安い代りに、柄も惡ければ品物も惡くて、まあ氣の利いた田舎的だ、まだまだ甚だしいのは古着を用ふる者もあるし、澤山抱子を置く家では、姉藝妓のを直して着せる位だ、着物既に此の通りであるから、頭髪の結方、つけもの、下駄履物なども思ひやられる、彼等はかやうにして、夜の巷を大きな面して歩くのだ。 |
あわれ 同情しないではいられない。かわいそう。気の毒。不憫と思う。他の意味はありませんでした。
石川屋 「古老の記憶による関東大震災前の形」では神楽坂3丁目、豊島理髪店の並び、中西薬局と塩瀬に挟まれた場所に石川呉服店があります。現在のセブンイレブンです。
甚だしい 程度が普通の状態をはるかにこえている
抱子 「抱え」は年季を決めて抱えておく芸者。同じ意味でしょう。
結方 髪の結い方。ヘアスタイル。
つけもの 付け物・付物。衣服につける飾り物
▲客筋 は牛込は勿論、四谷、小石川、本鄕の一部分の、官吏、軍人、御用商人、書生、下町の商人などだが、金使の奇麗なのは商人で有る。若し夫れ、 ▲藝妓氣質 に至つては金を目當の商賣だけに多少の變化はあるが、客筋に軍人と書生が多いので、自然亂暴(よく云へば活發だ)になつて、言葉遣も荒々しい樣だ、けれども流石に俠な面影もある。例の俳優との關係について一寸と記して見やうなら、歌舞伎邊の一枚看板は思ひも寄らぬ事、上等なのが東京座、三崎座などを相手にする、又或る者は壯士俳優を買ふものもあるが、下等なのは落語家なぞとちちッ繰合つて居る相だ。 |
若し夫れ もしそれ。改めて説き起こすときなどに、文頭に置く語。「さて」と訳すのでしょうか。
侠 男のようにきびきびした女。女の勇み肌。おてんば。おきゃん
一枚看板 一団の中の中心人物
東京座 神田三崎町にあった歌舞伎劇場
三崎座 神田区三崎町にあった劇場。三崎座は東京で唯一の女優が常に興行する劇場で明治24年(1891)の開設。大正4年(1915)に神田劇場と改称し、戦災により廃座となりました。
▲待合入 は極めて盛んなもので、驚く外はないが小夜更けて神樂坂頭を彷徨ひみよ、到る所の待合を出入するしやが澤山ある、不見轉專門の藝者屋は十一時頃から忙しく、箱丁の提燈影ほの暗く送られる者が多く、ぐつすり泊り込んで東雲のほがらほがらと明ける頃家路に着くのだ。(朝早く箱丁が着換の着物を入れた風呂敷を持て行くのは珍しくない。) |
小夜 よる。「さ」は接頭語
不見転 金次第でどんな相手とも肉体関係を結ぶこと
箱丁 芸妓のお供で、箱に入れた三味線などを持って行く男。
東雲 東の空がわずかに明るくなる頃。夜明け方。あけぼの。
ほがらほがら 朗ら朗ら。朝日がのぼろうとして明るくなるさま。
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