文学と神楽坂
油虫
小笠原父島大村、牧師ヂョセ・ゴンザレスの旧宅、今は、内地から移住してゐる若い詩人Kが仮寓、その厨房の挿 話。
*
麗らかな麗らかな何ともかとも云へぬ瑠璃色の黄昏である。
厨房のありとあらゆる静物は、今日はことに日が暮れても安らかであつた。而して、ただ在りの儘に、暮れてゆくばかしである。
薄明は流しの上の欄間と、向つて食堂への通路と、同じく開けつ放しになった庭の方の出口と、この三方から、何時までも何時までも夢のやうに忍び込んで来た。
殊に欄間の隙間から青い縞目になって這入ってくる光のうつくしさ、俎板の上の大きな挘ぎたての甘藍や皿や肉刺などはまるで生物のやうに青い縞をつけられて、今にも踊り出しさうに見えた。
その上に幽霊の手首のやうにいくつも結へて吊るされてゐたのはまだ青い小さなバナナの房であつた。
黒く焦げついたフライ鍋や、笊や、菜つ切り庖丁やがその隅つこにあつた。
また向つて食堂寄りの隅の方にも棚がある、その棚に焜炉と、焜炉には華奢な銀いろの湯沸が載つてゐた。その背後の薬味や、酢、醤油の玻璃罎はもうよほど暗くなつて薄い光の放射だけしか認められない。
出口の外は真白い砂地である。井戸の白い流しも向うに見える。砂の白い反射が、今出口を通して土間にどかりと放り出された大きな野菜巃を劃然と浮び上らせ、弾ぢぎるゝばかり積め込まれた赤いトマトの山をまだ明るく染め出してゐる。
その土間には色々のものが散らばつてゐるやうだが、さだかでない。ただ云つて置きたいのは奥の暗いところに土竈があつて、それに不釣合に大きな鉄鍋がかゝり、鎬の中には驚くほど仰山に瀬戸物の食器や匙やコップがごつたかへしてゐる事である。これは肺結核の黴菌を殺す為に、食前に必ず一度はくらくらと煮沸さる可きものとしてある。
それにまだひとつ妙なものがある。それは足の長い小笠原蛸の大かいのがぬるりと一本その上の梁からぷら下つてゐる事である。死物ではあるしことに亜熱帯の暑い空気の中で、風も吹かねば、そよとも動くことではない。何の事はない、逃げ損つた中風の盗賊が片足屋根から踏み破つて、その儘日が暮れたといふかたちである。
何れも生あるものではない。但し、凡てが恍惚と暮れてゆく。ただ在りの儘に今しも微かに暮れてゆきつゝある。
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此家の家族は若い主人と内地から一緒に来た若い三人の女性と、島で雇った女中が一人、都合五人である。
こゝに註をして置く可き事は連の三人の女性は皆病人で、二人は肺結核の初期、一人は肋膜炎の徴候がある事である。女中は若いけれども白痴である。真に健康なのは主人一人であるが、之が極めて快活で一番無邪気である。
病気に対する予防は充分にしてゐる。真実で健康な主人は大丈夫伝染りはしないと平気でゐるけれど、女達がさうはさせない。先づ食前食後には必ず石炭酸で手を消毒する事、食前には又必ず一切の食器を一時間大鍋に入れて煮沸する事に定められてある。女中は白痴だし、ハイカラのお嬢さん達は脾弱で我儘だし、それに煩瑣なかういふ余計の仕事があるので、三度の食事は中々に時間通りにゆかない、時には一度位は抜かす事がある、それは病人には何でもない事であるけれども、主人のやうに強壮な胃袋を持った青年には何より惨めな事である。白痴の女中もよく食ふ。或は主人以上に食慾は貪婪であるかも知れない。それで二人はいつも腹を空かしてゐる。
主人は非常にトマトが好きだ。小笠原のトマトは殊に新鮮でまるで鶏肉のやうな味がする、主人はトマトに正覚坊の肉さへあれば御飯なぞはどうでもいいと云ふ位である。だからトマトばかり買ひ込んで居る。八百屋もトマトばかり持つて来る。
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今日も八百屋がトマトの極上といふところを沢山かつぎこんだ。八丈女の狡猾いあの手んぼうの内儀まで、磨古木の如になった片方の肘でこりこり籠の黒い茄子やトマトを掻き廻はしては、無理強ひにいくつもいくつも畳の上に転がして行つた。
それで晩餐は存外簡単に済むだ。昼餐が遅かつたので、女達は麺麭とパウリスタアの珈琲、主人は腸詰にトマト、それ位にして、それから珍らしく四人でうち連れて外出した。そのあとは森閑たるものである。留守番の女中までが灯も点けずに出て行つたまままだ帰つて見えない。厨房の戸も何も開けっぱなしである、而して主人から早速貯蔵て置くやうにとあれほど命令かつた大切のトマトも矢張り籠のまゝで土間に放り出された儘になってゐる。
而して日が暮れた。
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時は聖晩餐の夜である。
日曜学校の若い先生アレキサンダア・ゼセ・アカマン・ツウクラブ君は軽い背広に夏帽子で厨房の前の垣根の外を通つてゆく。而してお隣の真白な教会堂に赤や黄の飾硝子を透かしてパツと燈が点るとバナナ畑を近景にした教会堂の薄明は益々瀟洒な光景になる。先程まで裏の赤い畑に鍬打つてゐた牧師のヂョセ・ゴンザレスも今は黒い僧服に身を改めて、しづしづと椰子檳榔の葉ずれを仰ぎながらその石段をのぼつてゆくのである。
暫時あつて、お祈禱の言葉がきこえ、静かに静かに讃美歌の合唱がはじまる。例のキンキン声を頭の尖端から出してゐるのは帰化人上部辺理の娘のモデの妹のセデのそのまた妹の悪戯娘のリデヤらしい。此家の三人の女たちの声もするやうである。
ハレルヤ……ハレルヤ……
その時、厨房の屋根の暗い檳榔の葉裏に何かしら湧いて出るやうな幽かな幽かな響がした。それが次第次第に濃密になって蕭々と秋雨のふるけはひとなり、響は響に重なり、密集してまた更に四方の羽目にふり灑いでくる……と、梁にぶら下った大蛸の吸盤のひとつが薄暗い空の中でピカリと光つた。かと思ふとつるつるつると見る間にその光が延びてくる。後から後からと光りながら絶間もなく光つてゆく……蛸が幽かに生きかへつて揺れ出した。と又、俎板の上の甘藍も庖丁も肉刺も筒の中の赤いトマトもフライ鍋も何かしら色が変つて来た、雨の音がそこにもここにもし出した。はては愈驟雨のやうな響となつて、異様な動物性の臭気がそこら一面に満ちわたつた。
何か異変が起りさうである。
隣ではヂョセさんの覚束ない日本語のお説教が始まった。
*
一旦、暗く落ちついた瑠璃いろの空の光は暫らく経つと仄のりとまた明るくなってゆく様である。見る間に明るくなつてゆく。それは檳榔の葉ずれや鳳梨の匂のする、砂糖焼酎や、乾草や、腐れたバナナのにほひのする月の出しほの薄あかりである。庭のタマナの葉がてらてらと光り、白い砂地の明りが更に白く潤味を帯びて、風がさらさらとわたると、豆畑や赤い斜面の玉蜀黍の中で鶯がまたささ鳴きをはじめる。
――ヨウ――、月夜闇夜と、ナ、云はずにおぢやれ、いいつもバナナのかあげはやあみい……。
シヨメ、シヨメといふ八丈節の流しがきこえる、浜はいま太平洋の横雲が霽れて、大方昨夜のやうな麗らかな真ん円い大きな大きな月が瑠璃や緑の浜桐や護謨の葉越しにゆらゆらとせり上つてきたのであらう。リデヤの父親の辺理が大きな独木舟の櫂をかついで今また垣根の外を通る、
――Good night
――今晩は。
厨房の欄間の外が水をうつたやうに静かになつた。これから昼のやうに明るくなるのである。
ふと、カサカサといふ音がした。甘藍が動いたやうである。月光の下、層み合つた蒼い球菜の間から褐色の大きな光るものが辷り出した。その物は爽かな野菜の香気を泌々嗅ぎ惚れてでもゐるやうに暫時、その水のやうな燐光の中にぢつとしてゐたが、またするすると暗い影を曳いて辷り落ちた。油虫である。と見ると、見る間に、その油虫が一つまた一つ、二匹、三匹、四匹、五匹、はては数限りもなく、葉と葉の間から辷り出した。まるで生きた甘藍の心の心から湧いてで出るやうだ、走り廻る、葉裏へ乗り越す、蕭々とまた厨房一杯に驟雨の来るけはひがする、油虫が愈匍ひ廻るのだ。
大きな、小笠原特有の油虫である。内地ののやうに異しい臭こそ立てないが、居るわ居るわ、屋根裏、羽目、卓子の下、赤い詩集の表紙の上、男女の別ちもなく油さへ塗つてあれば頭の髪の中へまでも、忍び込み、着物は噛り菓子皿は嘗める、おしまひには羽を開いて飛び廻る、縦横無尽である。それが今月の出潮の暗まぎれに時を得顔に跳梁する。
忽ち、甘藍が褐色の塊となった。つるつると光り、ゆらゆらと揺れ、底の底から無数の微かな音響を立て、輝く光の塊となつて燃えあがつた。動く、動く、一斉に動く。油虫が動くのでない。生きた野菜が自分から揺めき出したのである。と、俎板が動く。菜つ切り庖丁が動く。ナイフや肉刺はまた豊麗な饗宴の夢でも見るやうに躍り出す、まるで貪り足らぬ人間の「食慾」が亡霊となって、肉を切り、マカロニを掬ひ上げるやうに、それをがつがつ躍らすのである。鍋の中の皿や茶碗は勿論、棚の上の薬味、ソースの壜まで生きかへつたやうに音を立て、手が出、足が出て、夫々一塊の大きな大きな褐色の虫となつて燃え上る、自分達の重さに傾きかかつた籠の中のトマトは顆々と一つ一つに羽が生へて転がり出し、箭までが弾ぢきれさうに勢一杯の力を出して揺めき出した。月の光は愈らぢゆうむのやうにそれらに新らしい生活力を与へ、露を降らし、素朴な風味と芬香とを灑ぎかける。欄間から流れ込む青いその光が又俎板にいつぱい群つてゐる油虫の集団に美くしい幾条かの縞目を揺めかした。その縞目が又絶えず流動し、蠢動する。
静物の世界が今色も匂も響も一緒に真実一念に燃え上がつたのである。
――Tonka John! Tonka John!
甲高なキンキン声を出して、教会との隔ての垣根から誰やら呼ぶ。女の子の声である。リデヤだ。
――Tonka John! Tonka John! 居るかい。
垣根を向うからどんどんと敲く。誰も家内から返事する者がない。油虫の運動がちよとたじろいた。野菜や食器がひたと静止する。
外は実に麗らかな良夜である。リデヤは垣根の上から真白な顎だけしやくつて延び上った。十二三の、鼻の高い、眼の迫つた、髪の赤い、如何にも悪戯者らしい顔付である。
――Tonka居ないか、いいもの見せやうか、Tonka!
Tonka Johnとはこの家の若い主人の幼な名である。南国の生れで、郷里が長崎に近いだけ阿蘭陀なまりがあつて、日本人の名にしてはをかしいけれども、ここではその方が調子よく唇く、それで自身もこのトンカジョンで通してゐる。この青年がこの島に着いて三日目の朝、人間よりも大きい浜万年青が並木のやうに続いて、肉の厚い竜舌蘭の叢が強烈な日光の中に滅法界に大きい海蟹の足の如な刺葉を八方に開いてゐる傍で、砂浜に曳き上げられた黒い独木舟の上に竝んで腰を掛けながら、初めて逢つたその娘は訊いた、
――お前の名は何ていふの、
――Tonka John.
――Tonkaかい、妾の名はRydia.
さうして猫のやうに独木舟を躍り越えながら、
――遊びにお出でよ、妾んとこに白い鵞鳥が居るよ。
と云つた。而して手に持った貝殻を矢庭に砂の上に敲きつけて、駈け去つた。それからこのリデヤとトンカジョンは、大の仲善しになった。
今もTonka.Tonkaとキンキン声で呼んでるが、誰も返事をしない。リデヤは燥かしくなつたか、ヒラリと垣根に攀ぢ上つた。而して片足を掛けながら、乱暴にも乗り越して来る。髪をお下げに垂らして、ツンツルテンの浴衣を着てゐる、而して赤ちやんのやうに桃色の三尺を後にダラリと結んでゐるのである。それが片手に小さな亀の子を糸に吊して下げてゐる。
そのまま、駈けて来て、厨房を覗いたが、誰もゐない。食堂の硝子窓を覗いたが誰も居ない。今度は庭を廻つて後から応接間の方を覗きに行つたやうである。
明るいバナナの向うから、
――Tonka.Tonkaの馬鹿やい、ヂヨネの伯父さんが南洋から帰つたの知つてるかい、小つちやな玳瑁の児を見せてあげるから出てお出で、正覚坊の児なんかとまるで違ふんだよ、ホーラ。
リデヤ奴、中々のお悪戯さんだ。今度は裏庭のバナナのかげから、
――ヂヨセ、油虫の化物、教会に亀の子持つてたつて、何がいけないんだい、たゞの亀の子ぢやないんだぞ、玳瑁の子なんだぜ、馬鹿、肺病やみ、見てゐろ、お前の尖り鼻に今に噛みつかせてやるから、イヒ……
リデヤ奴、中々のお悪戯さんだ。油虫の化物と云つたので、厨房の油虫は一斉にヒヤリとしてカサカサ、カサカサと影にかくれた。
リデヤが行つて了ふと再び厨房の活劇がはじまる。
*
野菜や食器の感覚は常に新鮮である。盛に貪婪な油虫にその葉や肉心を蚕食されながら、甘藍とトマトは愈フレツシユな滴汁を滴吹き、香ひを放ち、愈清く哀しくなつてゆく。食器は盛んに嘗められ乍ら、西洋皿は又た盛んに犢や雲雀やアスパロガスの種々の豊満な献立を愈白い瀬戸の光沢の上に盛り上げ、ナイフは躍つて腸詰を切り、フオクは盛んに幻想界にそれを突き刺し乍ら、愈光りに光つてゆく。
月光は愈厨房いつぱいに円弧燈のやうな水々しい紫色を浴ぴせかけた。新鮮と素朴譬ふるものなしである、静かなこの夜の光の中に残るところなく照らされて油虫は一斉に全身を極めて神経過敏に顫はし乍ら、活動し、蠢勤し、集散し、反撥し、時に鏡のやうに反射し、雪のやうに湧き、焼酎のやうに沸騰し、雨のやうに蕭々と音を降らしつつある。而して見る間に死んだ大蛸の片足を甦らしめ、又見る間に
査古体色の甘藍を俎板の上に躍らし、トマトをつやつやと転げさせ、脂じみた食器を微細に光らせ、愈光らせ舞踏させ輪舞させつつある。而してロには盛んに大牢の滋昧に舌鼓をうち乍ら、霊魂は幽かに法悦三昧境に入りつつある。
かくてまた一時間が過ぎる……
*
ばたばたと窓の外に足音がした。
油虫はぱつと八方に散乱しながら逃げ走る。ほんの一瞬時である。半は夢のやうに半は感傷的に躍動しつつあつた凡ての静物ははたと静止した。
油虫が消えて了へば、幻想も消える。澄みに澄む月の光に照らさるる静物は矢張り元の静物である。ただトマトと甘藍は全く哀れであつた。散々に食ひ荒らされたトマトは新しい傷口の痛みから光沢を失ひ、顆は半分になり三角になり、或は蜂の巣のやうに吸ひ潰ぶされ、ギザギザとなり、今は籠の中から躍り出づる力もなく、染々と残りのセンチメンタルな漿液を滴らしつつある。甘藍はなほさら、葉をむしられ、心を噛み破られ、色も風味もなく、悄然と欄間の青い影と光の縞目に縞づけられて僅かに冷めたい残りの葉で胸を掻き合はしてゐる。そして、地面から湧き上つた真青な初一念も何処へやら今は白く転がり放しである。
足音がぱつたり停つたと思ふと、ふいとその欄間のところに、思ひがけない真黒な顔が現はれた。奥村(此処から十町ほど離れた帰化人の部落)の黒人娘のベネの顔である。何で差し覗くのか暫く閴寂とした家内の様子を窺つてゐたが、ただそつと首肯いて、欄間の隙から燃え立つばかりの真紅なアマリリスの花を一本差入れて、又そつと消えて行った。しとしとと砂を踏む足音がする……、而してまたその足音も幽かに幽かに消えて行つた。
油虫はたちまちにその赤い花に密集した。花が又忽ち真黒になつた。而して苦痛に躍り出す……。
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さあて、愈油虫の世界である。
屋根裏の檳榔の葉を伝ふ数限りもない油虫が一時に驟雨の走るやうな音を立てる。羽目の隅から隅まで駈け廻る。焜炉の縁を辷り上る、銀いろの湯沸をまつくろくする。コップの中の腐つた牛乳を嘗める。フライ鍋の脂に群る。野菜には飽いたか放つたらかして、今度は愈結核菌煮沸用の大鍋の中に一斉襲撃をする。油虫、油虫、恐ろしい肺病の黴菌がそこにはうぢやうぢや繁殖してゐる真最中だぞ、嘗めたら大変、みんな肺病になって了うぞよ。
油虫は考へない。ありとあらゆる物に対してただ無闇に密集する。見る間に厨房一杯油虫となるまで満月の光を飽迄も悪用する、人さへゐなければ縦横無尽である。
油虫は、月に光つては漣の寄せる如く屋根裏から羽目の隅々、窓、棚、あらゆる静物の上にまた一としきり驟雨のやうに走り廻る。誇張すればシネマトグラフの西洋の化物ホテルのやうに窓の硝子がくるくる廻り、流しが歩行き、土間が天上し、はてはくるくると厨房全体が廻り出す。さながらさういふ光景である。
トマトも甘藍も今はあったものかは。
ハレルヤ……ハレルヤ……
教会では愈おしまひの祈祷が済むだと見えて、また平和な讃美歌の合唱がはじまつた。
今、厨房は全く油虫の世界である。家がゆらゆら動く……
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程もあらせず、外にガヤガヤペチヤペチヤと人間の声がする。通り過ぎるかと思ふと、さうでなし。ばたぱたぱたぱたと駈け込むで玄関の戸の把手を捻るが早く、パツとマツチを擦る、応接間にはラムプが点される。人の影が障子にちらつく、やがてガチヤンと揺椅子に腰を下した音がして、元気な男の声で、
――お腹が減いた、早くトマトを持つといで。
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1915(大正4)年4月1日「ARS」創刊号に発表。