新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」ID 19041は令和3年(2021年)、新見附橋上から牛込方面や飯田橋方面などを撮影しました。
右側は千代田区富士見二丁目の高台と「パークコート千代田富士見ザ タワー」(地上40階、地下2階)だけが見えます。左側を見ていくと、JR中央・総武線、静かな牛込壕、樹木で隠れた外堀通りがあります。建物では……
新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」ID 19041は令和3年(2021年)、新見附橋上から牛込方面や飯田橋方面などを撮影しました。
右側は千代田区富士見二丁目の高台と「パークコート千代田富士見ザ タワー」(地上40階、地下2階)だけが見えます。左側を見ていくと、JR中央・総武線、静かな牛込壕、樹木で隠れた外堀通りがあります。建物では……
新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」ID 18566は平成29年(2017年)、新見附橋上から牛込方面や飯田橋方面などを撮影しました。
右側は千代田区富士見二丁目の高台だけが見えます。さらにJR中央・総武線と静寂な牛込壕、樹木で隠された外堀通りがあります。建物は……
新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」で、ID 17002-04は令和4年(2022年)、新見附橋上から牛込方面や飯田橋方面などを撮影しました。
右側は千代田区富士見二丁目の高台と「パークコート千代田富士見ザ タワー」(地上40階、地下2階)だけが見えます。左側を見ていくと、JR中央・総武線があり、牛込壕は透明で、樹木の間に外堀通りがあります。外堀通り周辺の建物は低層ですが、その理由は、大久保通りと同じで都市計画による拡幅が予定されているためです。
A「パークハウス市谷田町」(地上12階)
B「東京理科大学5号館」(地上5階)
C「神楽坂アインスタワー」(地上26階)
D「市ヶ谷エスワンビル」(地上9階、地下1階)
E「市ヶ谷エスワンビル」1階に「肉のハナマサ 市ヶ谷店」看板「ena」
F「NBCアネックス市谷ビル」(地上12階)
G「家の光会館」(地上7階)
H「神楽坂外堀通りビル」(地上10階、地下1階 )
I「東京理科大学1号館」(地上17階)
J「住友不動産飯田橋ファーストタワー」(地上34階、地下3階)
K「飯田橋ラムラ(RAMLA)」(地上20階)
1「東京日仏学院」
2「油セルフ セルフ市ヶ谷SS」ガソリンスタンド
3「飯田橋レインボービル」(地上7階)
4「東京理科大学8号館」
5「ブリティッシュ・カウンシル」語学学校
6「東京理科大学7・9号館」
7「東京理科大学入試センター双葉ビル」
8「神楽坂1丁目ビル」(地上8階、地下1階)
9「飯田橋升本ビル」など。ビル越しに「みずほ銀行」の看板
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14743と14744は、昭和27年9月、千代田区側から牛込濠や日仏学院、東京理科大、外堀通り等を撮ったものです。
昭和20年の東京空襲で、この一帯は焼け野原になりました。写真の建物の多くは戦後の建築です。
昭和27年の「火災保険特殊地図」(都市整図社)では「戦後2」「戦後3」「戦後4」の3冊だけが新宿区にあり、「戦後4」には「神楽坂方面」の地図が含まれています。ただし、この地域にあるのかどうかについては不明なので、とりあえず少し後の時代の地図を元に見ていきます。
写真右下から外濠公園の樹木と土手、中央線・総武線の線路、牛込濠、外堀通りがあります。
濠の向こうの写真左寄りにひときわ目立つ建物が2棟あります。Aは外堀通り沿いで、屋根の近くに何やら書かれていますが読めません。
その右上のBは「東京日仏学院」です。逢坂の途中の校舎が完成したのは昭和27年(1952年)1月でした。平成24年(2012年)アンスティチュ・フランセ東京に一時改称しましたが、2023年、名前を元に戻しました。
写真中央から右寄りにも、いくつかの立派な建物があります。高台のAは「個人(井上)宅」です。その下のBは昭和35年の地図を信ずる場合「家の光協会」です。左隣の小さな家が建っている場所には昭和34年(1959年)に「家の光会館」ができます。
右側のCは「研究社」、Dは「東京理科大学」です。この2つはコンクリート造で戦前から残った建物です。