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牛込濠(写真)遠景 平成31年 ID 14063

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」ID 14063は、平成31年(2019)2月、千代田区の法政大学前からJR東日本の架線柱、牛込濠、外堀通り、市谷田町3丁目市谷船河原町を撮影したものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14063 法政大学前から市谷船河原町を望む

住宅地図 令和2年

 地図とGoogle Mapを調べて、これらのビルは……

  1. 神楽ビル
  2. Luft Garten
  3. Skip Boat Neo Gate
  4. 双葉ビル。看板は「週刊大衆(漫画)アクション 小説推理」「orange 双葉社 発売中」一階は「肉のハナマサ 市ヶ谷店」(倉庫)。
  5. 市ヶ谷エスワンビル。看板は「2018年度 合格実績 小石川中 68名 都立中 785名」「ena」「日比谷高 2名 西高 4名 国立高 6名」。一階は「肉のハナマサ 市ヶ谷店」
  6. やまと運輸市谷砂土原町センター
  7. 油井工業所。2階の看板は「護國園」とイラスト「将棋の駒」
  8. パークハウス市谷田町(マンション)
  9. 龍生会館
  10. メゾン・ド・コリーヌ市ケ谷(マンション)
  11. 東京理科大学5号館
  12. マノワール古河(マンション)
  13. 船河原マウントロイヤル(マンション)

神楽坂1丁目(写真)昭和5年頃 ID 9378

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9378は、昭和5年頃「牛込見附(現在は神楽坂下)」交差点近くから神楽坂1丁目などをねらい、また、この写真は東京市牛込区役所蔵版「牛込区史」(昭和5年3月31日、590-1頁)に出ています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9378 神楽坂

 写真のキャプションでは……

  神樂坂の今昔 現在
 近時矢來より牛込見附の處、道路整備し就中見附より肴町に至るあたり、獨り毘沙門の縁日と云はず四時散策の人が絶へない。兩側店舗の家並みは落付きを見せ、そこに一鮎の情味さへ漂はせ神樂坂特有の氣分のみなぎつてゐる處、山の手方面には他にその類例がない。

牛込見附 これは「牛込見附」(現在の神楽坂下)交差点。
就中 なかんずく。その中でも。とりわけ。
肴町 現在の神楽坂5丁目

 紅白テープで巻かれた柱が坂下から坂上まで覆い、これは昭和10年に撮られた別の写真でも見られます。また、右2本目の柱に道路を照らす電灯もあると思います。「神楽坂通 善國寺」とも無理して読めるのぼり旗も沢山でています。
 電柱(電信電話柱)1本に数十本の架線がでています。多重通信はまだなく、1回線で電線1つが必要だったからです。
 前面に路面電車が走り、さらに左側には電力を供給する架線柱が見え、下を向いておそらく電灯が2つです。
 新宿区郷土研究会『神楽坂界隈』「神楽坂と縁日市」(平成9年)によれば、昭和5年、交差点「牛込見附」から上に向かって右手は「赤井足袋店、田中謄写堂、萩原傘店、山田屋文具、斉藤洋品店、みどりや、紀の善寿司」、左手は「寿徳庵菓子、畔柳氷店、伊勢屋乾物、翁庵そば、須田町食堂、東京堂洋品、陶仙亭中華」があったといいます。はっきり分かるのは右の角の赤井足袋店(足袋形の白地看板)、左の角の寿徳庵菓子(「大福」の看板)だけです。
 電柱の間から見える「名〇」の看板はID 7641と比べると赤井の隣と思われます。また寿徳庵の左には「古老の記憶」「私のなかの東京|野口冨士男」などによれば「娘義太夫の定席『琴富貴』」があったとありますが、残念ながら分かりません。寿徳庵前の電柱には「西條医院」(若宮町)と別の病院の広告が見えます。
 また右側の坂の中腹、ひときわ大きい入母屋屋根の3階建ては「場所的に佐和屋ではないか」と地元の人。

神楽坂1丁目(昭和5年頃)
  1. 電柱看板「西條醫院」「醫院」
  2. 寿徳庵(大きな看板「大福」)
  1. 赤井足袋店。足袋形の白地看板と看板「名」