神楽坂通りに面した紅小路と本多横丁との間の場所です。楽山茶舗があるのが一番有名でしょう。大正の終わりから、昭和、平成までこの場所を調べてみました。
まず大正12年の関東大震災の以前の図を見ます。昭和45年新宿区教育委員会『神楽坂界隈の変遷』の「古老の記憶による関東大震災前の形」です。
ここでは「玩具橋本」「山本コーヒー」「竹川」「靴」が書いてあります。「竹川」「靴」は、昭和5年になると「竹川靴店」と書いていますから、これはおそらく一語だと思います。「山本コーヒー」には本多横丁と神楽坂通りの2店があり、中でつながっていたようです。メイセン屋(メイセン屋はおそらく銘仙屋?)は紅小路の左に書いてあります。なお、地元の方の情報を加えてメイセン屋もここに含有されると考えます。
次は『神楽坂界隈-新宿郷土研究会20周年記念号』(平成9年)の「神楽坂と縁日市」にあった図ですが、原図ではなく、やはり地元の方の情報を加えて一部変更した図です。
昭和5年頃の図は左に、平成8年の図は右です。メイセン屋は楽山茶輔と同じ位置にあり、紅小路通りの右にあったようです。どちらがいいのか? 神楽坂の住人によれば「昭和3年生まれの父によると、新宿区の『古老の記憶』が間違い」(通信欄)といいます。なるほど。また、同じ住民から、魚国鮮魚店は表通り側に、牛込花壇は裏道側にあるといいました。上図が正しいと推定させるものです。
さて次は「火災保険特殊地図」で昭和12年版と昭和27年版の2つです。左の昭和12年版は「コーヒー」だけが見えます。一方、右の昭和27年版は「神楽坂郵便局」「空白」「みさこのみや」「近江やハキモノ」が見えます。
博文館編纂部『大東京写真案内』(昭和8年)でこんな写真がでています。
もう1つ、昭和60年に神楽坂青年会がつくった「神楽坂まっぷ」です。
平成15年の神楽坂通り商店会の「神楽坂マップ」です。
さらに『神楽坂まちの手帖』第12号の「昭和三十年代とその周辺」から昭和35年の地図をもらいました。また昭和35年以上は国立図書館の地図をまとめています。以上、まとめると
坂上/西北の店舗① | 店舗② | 店舗③ | 坂下/東南の店舗④ | |
大震災前 | メイセンヤ | 玩具 橋本 | 山本コーヒー | 竹川 靴 |
昭和5年 | メイセンヤ | 橋本オモチャ | 山本喫茶店 | 竹川靴店 |
昭和12年 | (建物) | (建物) | コーヒー | (建物) |
昭和27年 | 神楽坂郵便局 | (空白) | みさこのみや | 近江や ハキモノ |
昭和35年 | 神楽坂郵便局 | 仕出し 魚藤 | 近江屋 | |
昭和35年頃 | 神楽坂郵便局 | フランス菓子スゴオ | 鮮魚 魚三 | 履物近江屋 |
昭和45年 | (空白) | スゴオ菓子店 | 魚三 | 近江屋ハキモノ |
昭和51年 | 大佐和商店 | スゴオ菓子店 | 魚三 | 近江屋 |
昭和55年 | 神楽坂楽山 | 栄和ビル コーヒースゴオ | 魚三 | 近江屋ハキモノ |
昭和60年 | 銘茶楽山 | 3F ラサール美容室 5F 栄和歯科 |
魚さん | 近江屋ハキモノ |
平成2年 | 神楽坂銘茶楽山 | 中坪ビル | 魚さん | 近江屋 |
平成8年 | 楽山茶舗 | ゲームセンター | 魚さん料理 | 近江屋履物 |
平成28年 | 楽山(①+②) | うおさん | 4丁目近江屋ビル | |
AGARIS、Poisson、野菜食堂サクラサク、つみき、神楽坂イカセンター | 8.va | 五十番。蓮、やまあい La cuchara, 九蔵 |
楽山
『まちの手帖第11号』には楽山のこれまでの歴史があります。昭和34年に牛込北町の中央通りに店を開き、昭和43年に現在の場所に変わりました。『まちの手帖第11号』ではこんなことを書いてあります。
昭和39年のお茶審査競技会で5種5煎というきき茶部門で優勝。「その後何度も入賞したから、トロフィーや賞状がトラックいっぱいになったよ(笑)」 |
山本コーヒー
「ここは牛込、神楽坂」第5号のイラスト「戦前の本多横丁」では
(本多横丁のコーヒー店は)表通り(神楽坂通り)のコーヒー店と裏でつながっていて、ここで名物のドーナツを作っていた。サトウハチローさんがここのドーナツのファンだった。 |
サトウハチロー氏も『僕の東京地図』で書いていますが、ここは別紙に。
『かぐらむら』の「今月の特集 昔あったお店をたどって……記憶の中の神楽坂」では
山本コーヒー(喫茶店) 楽山の場所に昭和初期にあった。よく職人さんに連れていってもらった。 |
河合慶子氏は『ここは牛込、神楽坂』第3号「肴町界隈のこと」について
三菱銀行前の『山本コーヒー店』のふっくらと厚みのあるドーナツのこげ茶色。すべてが懐かしく郷愁をさそうのである |