瓢箪坂は白銀公園の東南の角より東へ下る急傾斜の坂です。左の図は江戸時代、右の図は現在です。
近江屋板切絵図(安政3年)の「小石川牛込小日向辺之絵図」では「ヒヤウタンサカ」と書いてあります。
白銀町と神楽坂六丁目との間を、西の赤城元町に上る坂を瓢箪坂という。長い坂で、途中でいったんくびれ、さらに盛り上っているので、その形をヒヨウタンの形にたとえたものである。 |
坂の途中がくびれているため、その形から瓢箪坂と呼ばれるようになったのであろう。 |
横関英一氏の『続 江戸の坂 東京の坂』では
瓢箪町は、街路がくねくね曲っていて、1小部分にくびれのある道路の町、または入り口が小さくて中が広い町をいうのだという。…(中略) 池だとか湖だとか、山だの丘だのが、瓢箪の形をしているというは、ありうることで、これには問題はない。しかし、坂や道路が瓢箪の形をしているというのは、まずありえないことだと思う。「途中いったんくびれて、さらに盛り上っている形から瓢箪坂の名が起こった」と書いた人もあるが、「坂路がくびれていて、さらにそれが盛り上っている形」というのは、どんな形をいうのであろうか。… 毎年夏になると、青い瓢箪が、いくつもぶらさがっているのがこの坂から見えたということから、瓢箪坂といったということは、ありそうなことである。 昔は、子供の下駄に瓢箪の絵を描いたものを売っていた。『ころばずの下駄』といった。瓢箪をからだにつけていると転ぶことがない、というおまじないからきていることで、子供が転ばないようにと、心を配る親たちの思いやりからきたものである。…転ばないようにと、けわしい坂みちに、その安全を祈って瓢箪という名をつけたのではないだろうか」 |
今の神楽坂5丁目に面した側から三角形に飛出している道の突端、元盛高院の先には瓢箪(ひょうたん)坂というのがあった。これは津久戸から曲り曲り来ると、瓢箪の腹を横に這うように来るので、その地尻の丸い所からこの名がある。 |