藁店
袖摺坂
鰻坂
熱海湯
泉鏡花・北原白秋旧居跡
芸者新路
ここでで「千年こうじや」のすこし先をみてみます。場所はここ。
この背後も東京理科大学の施設ですが、先の方を少しあるくと、「泉鏡花・北原白秋旧居跡」が出てきます。みえますか?
360°カメラでも撮ってみました。
現在の言葉は…
新宿区指定史跡
泉鏡花旧居跡 所在地 神楽坂2丁目22番地 このあたりは、明治から昭和初期にかけて、日本文学に大きな業績を残した小説家泉鏡花の旧居跡である。 |
硯友社は文学結社で、明治18年(1885年)2月、大学予備門 (のちの第一高等学校)の学生尾崎紅葉、山田美妙、石橋思案、高等商業学校の丸岡九華の4人で創立。同年5月機関誌『我楽多文庫』を発行し、たちまち明治文壇の一大結社になりました。
泉鏡花氏の「婦系図」の山場の一つは別のブログで。なお『てくてく牛込神楽坂』には、泉鏡花氏の略歴、南榎町にいた話、ヌエットと泉鏡花の話があり、大正14年に結構、難しい『神楽坂の唄』(補注もあります)、うを徳の開店披露の話(補注付き)、『神楽坂七不思議』(補注付き)、小品『草あやめ』(補注付き)、『春着』(補注付き)、『龍膽と撫子』(補注付き)をだしています。泉鏡花氏と絡んだ他の作者の作品として、『てくてく牛込神楽坂』では、柳田国男氏の故郷七十年、谷崎潤一郎氏の文壇昔ばなし、里見弴氏の私の一日と二人の作家もあります。
北原白秋旧居跡 所在地 神楽坂2丁目22番地
泉鏡花の旧居地であるこの場所は、北原白秋の旧居地でもある。 |
なお、泉鏡花氏と北原白秋氏が同じ家に住んでいたとは限りません。「神楽坂2丁目22番地」が示す場所は相当大きいのです。