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善国寺(写真)昭和45年 ID 8299-ID 8300

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID 8299とID 8300を見ましょう。撮影は1970年(昭和45年)頃で、毘沙門堂の善国寺です。
 ではID 8299を最初に見ていきましょう。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8299 善国寺

 季節は冬で、歳末セール中。歩道にはみ出す形で吊り屋根があり、提灯に「夢の歳末市福引所」とあります。
 正門の中の左側の小屋には「神楽坂通り商店会 福引所 入口」。餅花飾りに重なるようにたくさんの小さな電球が見えます。ベンチの広告は「ビタ明治牛乳」。
 福引き所の中にはガラガラと回す多角形の箱(正式名称は「新井式回転抽選器」)があり、壁には上位当選者の貼り紙らしきものも見えます。
 門柱と石囲いはすすけていて、破損も目立ちます。昭和5年刊の「牛込区史」(臨川書店)の写真と比べると、門柱は戦前のままの焼け残り、石囲いは手直しをしたように見えます。石囲いの柱の寄進者の名前ははっきりと見えませんが、拡大すると丸い紋の下に2-3文字が多いので、おそらくは芸妓の名でしょう。
 少なくとも右側の壁の窪みは戦前の写真にはありません。窪みのさらに右には水抜きと思われる穴があり、その上には何か書かれた石版がはめていますが、詳細は不明。
 石囲いの向こうは石造の滑り台(児童遊園)です。
 手前の左側には車道と歩道を区分する1本のガードパイプ、右側は何もありません。

ビタ明治牛乳 ビタミンなど栄養強化系の加工乳でした。

ビタ明治牛乳

 次はID 8300で、正門の右にある脇門を写しています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8300 善国寺

 女性が花を売る準備をしています。この露天の花売りは「ほんの数年前、平成が終わる頃まで続いていました」と地元の方。門内の左側にある棚のようなものはID 8271-8272と比べると児童遊園の砂場の日よけです。
 門脇には大きい字で書かれた看板「易占 毘沙門天 易断所 藤墳蕙秀 電話 2〇〇 2769番」との6本線(こう)。さらに右側の7字で書かれた看板はこの写真では読めませんが、田口政典氏の「毘沙門天遠景」の看板には「橘田耳鼻咽喉科」。門の両脇の花屋も分かります。
 歩道にはガードフェンスがあり、車道に小型トラック「いらない水枕 アイスノン」「柴崎医療器KK」。その後ろは日産サニー。
 街灯には「神楽坂通り」、提灯「〇〇歳末市」と餅花飾り。ワイヤーが左右に伸びて提灯5個が下がっています。ただ細いワイヤーには電線が見えないので、提灯が夜に光ることはなかったと思われます。

易占 えきせん。算木さんぎ筮竹ぜいちくを用いてする易の占い。
易断 えきだん。易による占い。運勢、吉凶を判断する
 け。えきで占った結果あらわれるかたち。陰と陽とを示す二種のこうがあり、これを三つ組み合わせたけん・離・震・そんかんごんこんは基本の八卦
 こう。えきを組み立てている横画。陽爻と陰爻の二種がある。
水枕 みずまくら。後頭部の冷却に用いる枕の一種。氷枕こおりまくらは氷を使う。

神楽坂3丁目(写真)夕景 昭和43年 ID 8020

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID 8020を見ましょう。撮影は神楽坂3丁目から坂上をねらっています。車道はゴム製リング(オーリング)でつけた滑り止めのドーナツ状の窪みがあります。〇リングが終える時、つまり、ここでは小料理の万平が終わる時に、坂も終わります。歩道はややサイズの大きい平らな正方形のブロックです。また、街灯は丸い巨大蛍光灯です。
 新宿歴史博物館ではこの写真は昭和30年代だといいますが、右手の背の高い所にある提灯をよく見て下さい。5文字があり、ID 8019と同じ「神楽坂百年」なのです。したがって、昭和43年だと思います。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8020 30年代

 

神楽坂3丁目(昭和43年)
  1. (ヒデ美容)室
  2. SUNTORY BAR 五条
  3. 龍公亭 飯店
  4. 街灯に逆三角の飾り旗。「本日 五(の日)」
  5. はきもの 助六 仐
  6. 印章・ゴム印(岡田印房)
  7. 西洋料理花菱
  1. 地図によれば福島ピアノ
  2. 小料理 万平
  3. 菱屋呉服総本店 セルコン カーテン
  4. 東京電力サービスステーション

1970年。住宅地図。