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千寿|神楽坂3丁目

文学と神楽坂

『製菓実験』昭和13年4月号に「千壽」(千寿)が出ています。

       千壽
倉本
 不折が泣くであらうが――と云つたら、御主人は不平であらう。が、江戸ツ子は口が惡いものである。この店を見ては、そう言はざるを得ない位である。もつとも、之を菓子屋だとおもつたら間違ひかも知れない。汁粉店であらう。それにしても、店といふものが、お客樣の口に入れるものを入れる特別の入れものだと考へたら、モツト、何んとか考へてよさそうではないか。
 この店を、このまゝ活かすなら、の腰にも同じタイルを張り、入口に淸洒湓色暖簾でもかけることだ。面して、讀者諸君に、こゝで注意したいことは陳列窻の有難さといふことだ。この店で、これが無かつたら、何の店かワカリはせぬ。(もつとも、小さな電氣看板の側面には何とか商賣名が書いてはあるのだらうが……)

 あまり技巧的にならない良い店である。看板とタイルとは不思議にマツチしてゐる。ショーウインドウの腰が何となく粗製の感じがあるのと、その欄間チヨンビリしてゐながらドギツく感じられるのが缺點である。全體的にみて少しおさまり過ぎてゐる處はあるが、それも大して氣にはならない。
 右側の小窻には紙張りの障子を入れた方がいゝであらう。こゝに白い處があれば欄間のドギツさも幾分か救はれるかも知れない。
 「窓」の旧字体
清洒 せいしゃ。華美なところがなくさっぱりとしている。
湓色 「ほんいろ」か。「湓」は「水がわきでる」こと。水色?
暖簾 のれん。商店で、屋号などを染め抜いて店先に掲げる布。
粗製 作り方が粗雑なこと。雑なつくり。
欄間 らんま。採光、通風、装飾のため天井と鴨居との間の開口部材。
ちょんびり わずかに。ほんの少し。ちょっぴり。
缺點 「欠点」の旧字体

 2009年12月号の「かぐらむら」「記憶の中の神楽坂」の「神楽坂1丁目・2丁目・3丁目」で「千寿」が出ています。欠点はどこにもなさそうに、あっさりと、書いています。
 場所もお店の詳細も不明である。看板は、新宿中村屋のロゴマークや、漱石の「我が輩は猫である」の挿絵で知られる「中村不折」の揮毫。お菓子屋というよりはお汁粉屋さんであったようだ。

揮毫 きごう。毛筆で文字や絵をかく。特に、知名人が頼まれて書をかくこと。

 この揮毫は中村不折によるとはっきりとわかっていないと思います。
千寿の写真で、左側と右側の柱ですこし長さが違い、向かって左側が少し長くなっています。これは、坂道の入り口や降り口の周辺なのでしょう。
 岡崎公一氏の『神楽坂界隈』(新宿区郷土研究会、平成9年)の「神楽坂と縁日市」「神楽坂の商店変遷と昭和初期の縁日図」ではよく似た店舗がありました。「天寿堂飴店」です。「千寿」と「天寿」、お汁粉屋と飴店。似ている、似ていない。間違えて千寿を天寿と書いたのでしょうか。まあ、そんなことはないか。