新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9781は、昭和50年頃、神楽坂1~2丁目をねらっています。
車道はアスファルト舗装、そばに側溝、縁石、歩道もアスファルト舗装です。街灯は円盤形の大型蛍光灯で、街灯から地面に行く途中に標識「神楽坂通り」、さらに「神楽坂通り/美観街」の標識が左右に1本ずつ立っています。電柱は道路の左側にしかありません。また電柱には大きな柱上変圧器があります。
神楽坂1~2丁目(昭和50年頃) | |
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9781は、昭和50年頃、神楽坂1~2丁目をねらっています。
車道はアスファルト舗装、そばに側溝、縁石、歩道もアスファルト舗装です。街灯は円盤形の大型蛍光灯で、街灯から地面に行く途中に標識「神楽坂通り」、さらに「神楽坂通り/美観街」の標識が左右に1本ずつ立っています。電柱は道路の左側にしかありません。また電柱には大きな柱上変圧器があります。
神楽坂1~2丁目(昭和50年頃) | |
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 9778は、昭和50年(1975年)頃、神楽坂2丁目をねらっています。
車道のOリングがあり、続いて側溝、縁石、歩道はアスファルト舗装です。街灯は円盤形の大型蛍光灯で、街灯から地面に行く途中に標識「神楽坂通り」があります。電柱は道路の左側にしかなく、電柱の上には大きな柱上変圧器があります。
坂の途中に非常に大きなクレーン車が出ていますが、該当しそうな新築ビルはありません。
神楽坂2丁目(昭和48年) | |
「キミが一生に一度も行かない所 牛込神楽坂」という雑誌「Mr. Dandy」(中央出版、昭和49年)での写真です。中扉、いろいろな場所、さらに数枚の神社仏閣ですが、ここでは中扉を扱います。
有楽町線「飯田橋」はまだ未開通です。しかし道路は開削し、上に鉄板を並べるところまで来ています。ただし、埋め戻しは開通後です。標識「神楽坂通り/美観街」も出ています。街灯は円形の蛍光灯一つだけで、これは昭和36年(1961年)以降です。その下に看板「神楽坂通り」。柱上変圧器もあります。
神楽坂1丁目(昭和49年) | |
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 5993~5995は、昭和37年(1962年)、神楽坂1丁目を牛込橋方向から撮ったものです。
昭和36年4月のID 52-53と比べると、牛込橋の車道のセンターラインや歩道の柵、左右の桜の木は同じです。しかし今回の街灯はそれまでの鈴蘭灯から、大型円盤形の蛍光灯に代わっています。左側の電柱広告は「旅館かぐら苑 野乃木」から「大久保質店」に、右側のファサード看板も「森本不動産」から「伊達」に代わりました。
右上の「メトロ映画」の看板は「yヽロ映画」(ID 52-53)から「 ヽ凵映画」(ID 5993~5995)へと老朽化が進んでいます。遠くにキャバレー「ムーンライト」が見えています。
街の様子は、寒いのか外套を着る人もいて、桜も裸木です。ただ歳末セールや正月の飾りのようなものは見えません。
ID 55と56ともよく似ています。左下の手すりが雑巾かシャツで覆われ、すぐ前に同じバイク、右側にも同じ「日軽サッシ」の車も停まっています。ID 55-56、5993~5995は同じ時に撮影したことが分かります。
新宿区『新宿区15年のあゆみ』(新宿区役所内務部総務課、1962年)ではID 5994を使っています。この本は昭和37年3月に出版していますので、この写真は、それ以前に撮影したはずです。
ID 5995の右側の桜の木に、映画のポスターらしきものが見えます。昭和37年(1962)2月11日公開の『天使と野郎ども』ではないでしょうか。とすると撮影は昭和37年2月でしょうか。
日軽サッシ サッシ(window sash)は窓枠全体のこと。日軽は日本軽金属から現在はLIXIL(リクシル)になり、これは建築材料・住宅設備機器業界最大手の企業。
映画のポスター 拡大します。
神楽坂1~2丁目(昭和37年頃) | |