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神楽坂通り(3丁目北西部)

文学と神楽坂

 神楽坂3丁目の神楽坂通り北側最左部の11軒について調べてみました。つまり、本多横丁からスタートし、神楽坂通りを東に向かい、1つ隣の無名の横丁までです。あるいは、左は物産館「北のプレミアムフード館『Kita-pre』」から右は牛肉料理「牛丸」や寿司屋「二葉」が入っていた「神楽坂Kビル」までです。
 明治後半から令和に至るまで、1つの土地には1つの建物しかできませんでした。ある人が、隣の土地を買い取って、拡張することもありませんでした。
 最初に2010年のゼンリン住宅地図を出します。

現在の3丁目

 これと図の「神楽坂通り商店会PC用ホームページ」と比較します。2015年の図です。

http://kagurazaka.in/map/kagurazakamap2015.pdf3丁目
 これで店舗をまとめてみます。No.10の摩耶ビルは以前は1丁目にいました。

Noビル・個人宅店舗
1大宗第2ビル2016年、北のプレミアムフード館 キタプレ。2020年、建替中。
2ミヤサカビルラフィネ、スチュワーデス倶楽部
3SHKビル金谷ホテルベーカリー、坂本商店、キーストーン法律事務所
4越後屋ビル甚右衛門、OHANA、水村、おの寺、六角堂
5鳥忠ビルセブンイレブン、SAWAN、いろり
6売物件(以前はドラッグストアスマイル)
7ナカノビルブロンクス、太山堂鍼灸接骨院、Accueil、灸屋小鉄
8個人宅桐信エステート、caqui
9個人宅関タバコ店
10摩耶ビル摩耶、足悠、Bianca神楽坂店
11神楽坂Kビルこんぶや、神楽坂ストレスクリニック

 No6、8、9は2階建てのビルですが、この建物については「〇〇ビル」とはいいません。したがって、空白です。3階以上で初めて「〇〇ビル」といっています。ここまではうまく行きました。なお、ナカノビルにあるブロンクスは神楽坂通り商店会には入っていないのでしょう。また、二葉は廃業で、こんぶやに替わりました。牛丸も廃業のようです。

 ではもう1つ、新しい(実際は昔の)地図を示します。昭和12年として作った火災保険特殊地図です。神楽坂S12
 地元の方は「石川市場」は「現代でも地方都市で見る場外市場のように、屋台式の店が並んでいたようです」といい、その左は「タバコ」、右の「加藤商店」は筆屋だったといいます。

 さらに火災保険特殊地図の昭和27年で、また同じ地域です。

昭和27年神楽坂
 この2枚と最初の1枚は本来は同じ地域の地図ですが、違う点があります。店舗5番から7番は地図上では微妙に大きさが違うのです。ある店舗は、ある地図では太り、ある地図では痩せています。おそらく実際は同じ大きさで、地図上では違っているだけだと思っています。

 次は1960年(昭和35年)の住宅地図です。

1960年、3丁目北側最西部の歴史

1960年、3丁目北側最西部の歴史

現在の代表的店舗昭和12年昭和27年
北のプレミアムフード館 キタプレ床屋藤や生花
スチュワーデス倶楽部(建物)(空白)
金谷ホテルベーカリー(建物)坂本ガラス
甚右衛門(建物)菓子
セブンイレブン石川市場松屋呉服(か柏屋呉服)
(売物件)(建物)塩瀬菓子
太山堂鍼灸接骨院(ナカノビル)(建物)ナカノ洋装
桐信エステートnaka(なか)屋時計
関タバコ店(建物)遠藤綿
摩耶加藤商店青日書院
牛丸(建物)(建物)

 さらに大正12年の関東大震災の以前の絵をこれに加えておきます。昭和45年新宿区教育委員会『神楽坂界隈の変遷』の「古老の記憶による関東大震災前の形」です。ただし、『地理学評論』の「東京の都心周辺地域における土地利用の変遷と建物の中高層化」により、「大震災前」ではなく、大正11年(1922年)としています。

豊島理髪店

 この石川呉服店が石川市場になりました。「オーナーが商売に失敗したのでしょう」と地元の方。

 また、飯田公子氏の『神楽坂龍公亭物語り』(平成23年)で大正6年(1917年)を加えました。ただし、宮坂材料置場と坂本ガラスやは場所を交換しています。さらに昭和5年頃と平成8年の図も加えておきましょう。これは『神楽坂界隈-新宿郷土研究会20周年記念号』(平成9年)の「神楽坂と縁日市」にあった図です。さらに昭和27年の文章を再掲し、『神楽坂まちの手帖』第12号の『昭和35年ごろの神楽坂通り』も加えました。最後に昭和37年以降の地図は国会図書館の地図を使っています。

 ある店舗はビルになりました。たとえば、「鳥忠ビル」はセブン・イレブンの大家になって、数階建てになりました。坂本ガラスも「金谷ホテル」を店子に持っています。一方、関タバコ店は2階建てのままです。一方は大きなビルになり、一方は小さいまま。じっと眺めるといろいろ見えてきます。

大宗第2ビルミヤサカビルSHKビル越後屋ビル鳥忠ビル
現在令和2年 (2020)改築中ラフィネ、スチュワーデス倶楽部金谷ホテル、坂本商店、キーストーン法律事務所甚右衛門、OHANA、水村、おの寺、六角堂セブンイレブン、SAWAN、いろり
平成28年(2016)北のプレミアムフード館 キタプレ
平成27年(2015)五十番
平成8年(1996)子供の森(子供服)坂本硝子店甚右衛門・呉服鳥忠・神楽坂
昭和55年(1980)中西タバコ店
昭和45年(1970)宮坂金物店鳥忠
昭和35年 (1960)柏屋呉服店
昭和27年 (1952)藤や・生花菓子松屋呉服
昭和12年(1937)豊島理髪店タバコ石川市場
昭和5年 (1930)菓子石川屋・呉服
大正11年(1922)中西薬局
大正6年 (1917)中西薬局石川屋呉服

個人宅ナカノビル個人宅個人宅摩耶ビル神楽坂Kビル
2020年(空き地)ブロンクス、太山堂鍼灸接骨院、Accueil、灸屋小鉄桐信エステート、caqui関タバコ店iCure鍼灸・接骨ワイン酒蔵
2016年ドラッグストアスマイルブロンクス、太山堂鍼灸接骨院、Accueil、灸屋小鉄#rowspan#i摩耶、足悠、Bianca神楽坂店牛丸、神楽坂ストレスクリニック
平成8年バザール場ブロンクス桐信エステート成田屋・煙草ニューマヤ牛丸、二葉
平成2年五十番中華大世界 喫茶成田屋フトン店・関商店小田川 茨城 ビューティ摩耶料亭二葉 松原恵三
昭和55年塩瀬菓子ナカノ洋装大世界成田屋・関商店美容ニューマヤ寿司どころ二葉 松原
昭和45年塩瀬菓子時計屋ふとん店茂木医院二葉寿司
昭和35年 (1960)時計なかや津田屋・関商店
昭和27年 (1952)なか屋時計遠藤綿青日書院(建物)
昭和12年(1937)加藤商店(筆屋)
昭和5年 (1930)玉屋・眼鏡店開成堂・絵葉書桝屋・三味線和楽堂・筆宮城屋・菓子
大正11年(1922)食料品高尾絵はがきや三味線屋筆の魁雲堂太白飴・宮城屋
大正6年 (1917)宮城アメ屋筆や神楽バー

かぐらむら』の「今月の特集 昔あったお店をたどって……記憶の中の神楽坂」では

塩瀬(和菓子)
築地の有名な老舗の支店があった。来客用の上等な和菓子は塩瀬で買ったけど、揚げ煎やおかきのような庶民的なものもおいしかった。

塩瀬

 久保たかし氏の平成2年『坂・神楽坂』では
◆和菓子の老舗「塩瀬」がつい最近まであったが、今は無い。

『かぐらむら』の「今月の特集 昔あったお店をたどって……記憶の中の神楽坂」では
鳥忠(居酒屋)
 地元民が普段着ですごせるこの店は、京都で知り合った老舗の友人との再会にぴったりだった。一人でも気負いなくくつろげる店だった。こういう「普通」な店が神楽坂から消えたのは残念で仕方がない。

 野口冨士男氏の「かくてありけり」では
絵はがき屋
 絵はがき屋も太白飴などとともに消え去った商売の一つで、今では私か知るかぎり浅草のマルベル堂などが都内唯一の生き残り専門店かとおもわれるが、時代のスターも幾度か交替して、芸者から映画俳優、そして歌手という経過をたどったとみて誤まりあるまい。新橋、柳橋、赤坂などの芸者が一世(いっせい)風靡(ふうび)した時代があって、ブロマイドになる以前の絵はがきが飛ぶように売れた。私の姉などは、それにあこがれた最後の世代に相当するのではなかろうか。

 久保たかし氏の「ふるさと神楽坂」(平成6年)では
魁雲堂
 墨、筆、すずりのお店。古い木造2階建で、大きな木の看板に墨痕あざやかに魁雲堂と横に書かれ、1階の瓦屋根におかれている。

『ここは牛込、神楽坂』第4号で川村克己氏の「思い出はいつも光とともに」では
◆魁雲堂
 神楽坂をのぼりつめると右側に、木村屋というパン屋さんかある。その先は細い路地をへだてて、太白飴を名代とする宮城屋があり、その次が古めかしい作りの筆墨を商う魁雲堂という店があった。この筆屋が僕の育った家である。

『かぐらむら』の「今月の特集 昔あったお店をたどって……記憶の中の神楽坂」では
茂木書店(書店)
 まちの普通の本屋さんだと思っていたら、ポケットサイズの国語辞典を出版していたので驚いたよ。