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東京の路地を歩く|笹口幸男⑤

文学と神楽坂

最後に、“こぶりながら”見落とせないピカッと光る路地を紹介しておきたい。飯田橋駅のほうから、坂を上りきる手前の左手〈青柳寿司〉の脇に入ると、すぐ右手にお稲荷さんと、その隣りに神楽坂芸妓組合がある。その斜め前の喫茶店〈シャトレーヌ〉の横が路地になっているが、まず地元の人でなければ気づかないであろう。でも土地の人はよく利用している。ひっそりとした、狭い路地で、右にカギの手に曲がると、すぐ石段になり、それを下ると真正面に〈斉藤医院〉がある。そこを右に折れて道なりに行くと、すぐ通りに出る。通りからすぐ反対側の民家の間がまた上り坂になった路地となる。上りつめてから振り返って見ると、高台にへばりついている神楽坂の家並みを望むことができる。初めに書いたような、高低差のある地形的な利点をもつ神楽坂は、きわめて優雅な街の景観をあちらこちらに残している。

この取材のためにも何回か歩いたが、またそれとは別にウォーキング・シューズをひっかけて、気ままに足の向くにまかせて歩いてもみた。渋谷も原宿も西麻布もけっこうだが、たまには発想を転換して、神楽坂散歩を試みられることをぜひおすすめしたい。

もう一度だけ、私の好きな『私のなかの東京』から、引用させていただく。

関東大震災後のきわめて短い数年間を頂点に、繁華街としての神楽坂という大輪の花はあえなくしおれたか、いまも山ノ手の花の一つであることには変りがない。そのへんが毘沙門さまをもつ神楽坂に対して金比羅さまをもつ虎ノ門あたりとの相違で、小なりといえども花は花といったところが、現在の神楽坂だといえるのではないだろうか。
開けっぴろげな原宿の若々しい明るさに対して、どこか古風なうるおいとかすかな陰影とをただよわせている神楽坂は、ほぼ対極的な存在といってまちかいないとおもうが、将来はいざ知らず、現状に関するかぎり、その両極のゆえに私の好きな街の双璧といってよい。

そして私は、ほんとうに久しぶりにあの酒場の暖簾をくぐった。店のたたずまいは昔と少しも変わらない。ただ、路地の入り囗の右手が立派なビルの料亭に変わっていた。その日は多少早めに行ったので、おやじさんと言葉をかわす余裕があった。同僚と二人でごく自然に杯をかわすこともできるようになっていた。つくずく時の経過というものを感じた。自分からもいつのまにか若さのとげとげしさといったものが、消えているように思えた。酒量が確実に落ちたのに対して、良い悪いは別として、酒を楽しむ境地になっていた。

こぶり 同類の他のものに比べると少し小形なこと
青柳寿司 寿司はなくなりましたが、「青柳LKビル」が残っています。1階は「沖縄麺屋 おいしいさあ」です

おいしいさあと稲荷稲荷 正式には伏見ふしみ火防ひぶせ稲荷いなり神社
神楽坂芸妓組合 正式には「東京神楽坂組合」
シャトレーヌ 現在は「恵さき」
芸者組合と恵さき石段 この階段や路地は「熱海湯階段」(まちづくりの会『神楽坂楽楽散歩』、『東京人』123号)、「熱海坂」か「カラン坂」(牛込倶楽部平成10年夏号『ここは牛込、神楽坂』)、「芸者小路」(階段下の音声ガイド)、「フランスの坂」、「一番湯の路地」、などと呼んでいます。

芸者小路

芸者小路

斉藤医院 現在は「別亭鳥茶屋」
通り 小栗横丁のこと
路地 堀見坂と『ここは牛込、神楽坂』第13号「路地・横丁に愛称をつけてしまった」と書いてありました。
金比羅 港区虎ノ門一丁目にある神社、敷地内には、金刀比羅宮との複合施設として虎ノ門琴平タワーがあります。場所はここです。金比羅
酒場 「伊勢藤」でしょう
ビル 山本ビルに変わりました。一階は鳥茶屋本店