籠谷典子編著「東京10000歩ウォーキング 文学と歴史を巡る No. 13 新宿区 神楽坂・弁天町コース」(明治書院、2006年)で善国寺について詳しく説明しています。
日蓮宗 鎮護山善國寺 新宿区神楽坂5-36 ◆開基は徳川家康 佛乗院日惺上人(父は二条関白昭實)が日蓮宗池上本門寺12代貫首に迎えられてから9年が経った天正18(1590)年、徳川家康が江戸に入った。父の縁で家康と交流があった日惺上人は、直ちに父祖伝来の毘沙門天尊像に天下泰平の祈祷を修した。それを伝え聞いた家康は、文禄4(1595)年に日本橋馬喰町馬場北に寺領を設け、自ら寺号を「鎮護山善國寺」と定めて日惺上人に贈った。 開基は徳川家康公、開山は日惺上人と、格式の高い善國寺だが、寛文10(1670)年に焼亡した。それを水戸藩主徳川光圀が現在の麹町三丁目に伽藍を築いて再興した。 |
佛乗 仏乗。ぶつじょう。「乗」は乗物の意で、悟りの彼岸に到達し、成仏する教え。大乗、一乗、一大乗、一仏乗などともいう。
日惺 安土桃山時代の日蓮宗の僧。号は仏乗院。京都妙覚寺の日典に学び、鎌倉比企谷妙本寺と江戸池上本門寺の2寺の貫主(一宗一派を管理・支配する最高責任者)に招請。徳川家康より江戸に寺地を与えられ、善国寺など五か寺を開創した。
上人 しょうにん。浄土宗、日蓮宗、時宗での僧侶の敬称。高僧。
池上本門寺 東京都大田区池上本町にある日蓮宗の大本山。大本山とは総本山の下で、所属の寺院を総括する寺。
貫首 かんじゅ。かんしゅ。各宗総本山や諸大寺の住持。貫長。管主。
父の縁 池上本門寺の縁起では「徳川家康が江戸へ入府すると、第12世日惺聖人はその居を鎌倉から池上に移し、以来貫首は池上に常住する。これにより、当山は徳川家や加藤清正などの諸侯の外護を得て更なる発展を遂げ、大伽藍を形成するに至った」と書き、「父の縁」は書いていません。一方、善國寺では「初代住職は佛乗院日惺上人と言い、池上本門寺十二代の貫首を勤めた方である。 上人は、二条関白昭実公の実子であり、父の関係で徳川家康公と以前から親交を持っていた。 上人が遊学先の京都より、本門寺貫首として迎えられてから九年後の天正18(1590)年、家康公は江戸城に居を移し、二人は再会することになった。
そこで上人は、直ちに祖父伝来の毘沙門天像を前に天下泰平のご祈祷を修した。 それを伝え聞いた家康公は、上人に日本橋馬喰町馬場北の先に寺地を与えさらに鎮護国家の意を込めて、手ずから『鎮護山・善國寺』の山・寺号額をしたためて贈り、開基となられた」
毘沙門天尊像 文禄4年(1595年)の開創以来、毘沙門天像は祀られています。
祈祷 神秘的な力をもつ特定の対象に対し,期待する結果を得るために祈ること
修する しゅうする。仏事などを執り行う。
寺地 てらち。寺の地所
寺号 じごう。寺の称号。寺の名。山中に寺院を設ける伝統があり、その所在を示す山名を付し、山名と寺名を連称してよぶようになった。
鎮護 ちんご。乱をしずめて外敵・災難からまもること。
開基 かいき。基礎を作ること。仏寺を創立すること、またはその人。開山。開祖。
開山 かいさん。「山」を開いて寺を建てること。または、その寺をはじめて開いた僧。
焼亡 しょうもう。建造物などが焼けてなくなること。焼失
伽藍 がらん。僧が集まって仏道を修行する清浄閑静な所。寺の建物の総称。寺。寺院
☆神楽坂への遷座 麹町の善國寺は威容を誇る伽藍であり、参詣人も絶えなかったらしく、脇の坂道は善國寺通り(現・日本テレビ通り)と呼ばれ、今も麹町三丁目交差点角に「善國寺谷跡」碑が建立されている。しかし享保12(1727)年に火災に遭い、寛政4(1792)年の大火で類焼すると寺領は火除地となり、神楽坂への遷座が決まった。当時は武家屋敷ばかりの神楽坂だが、毘沙門天は夜叉と羅刹を率い仏法と北方世界を守護する「軍神」であると敬われ、武士たちに篤く信仰された。また毘沙門天は寅年寅月寅日の出生とされて寅毘沙とも称す。善國寺19代日順上人の嘉永元(1848)年、地元有志より秘蔵の毘沙門天を守護する「寅石像」が奉納された。この狛犬ならぬ「寅石像」は鈴木保教作という。 |
麹町三丁目交差点角 現在は麹町四丁目交差点角。
善國寺谷跡 現在は「善国寺坂」に変更
類焼 よそから出た火事で焼けること。もらいび。類火。延焼。
火除地 ひよけち。江戸時代、延焼防止と避難のための空き地。
遷座 せんざ、神体、仏像などをよそへ移すこと。
夜叉 サンスクリット語のヤクシャyakṣaから。容貌・姿が醜怪で猛悪な鬼神。毘沙門天の眷属で、諸天の守護神となり、北方を護る。
羅刹 サンスクリット語のラークシャサrākṣasaから。血肉を食うという悪鬼。男は醜悪で、女は美麗という。後に仏教の守護神となった。
北方世界 昆沙門天は仏法を守る四天王の一つとされた。持国天は東、増長天は南、広目天は西、昆沙門天は北である。日本で見られる四天王の像には、邪鬼という仏法を犯す鬼を踏んで立つ勇ましい姿をしたものが多い。
軍神 軍事・戦争を司る神。武神、闘神、戦神とも
寅年 暦法で「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」の「十二支」の一つ。
寅石像 平成21年第11回新宿区教育委員会定例会で区文化観光国際課長は、善国寺の石虎は「安山岩製。阿吽一対。台石中段正面に浮彫(阿形には虎と滝、吽形には一対の虎)。阿形の台石下段右側面に「岩戸町一丁目」「藁店」「神楽坂」「肴町」と刻彫。石工は原町の平田四郎右衛門、横寺町の柳沼長右衛門。彫工は駒込の鈴木喜三郎保教」