出口競氏が書いた『学者町学生町』(実業之日本社、大正6年)で、その(1)です。
何處から何處へ流れるとなき外濠の流れは、一刷毛ごとに薄れゆく夕日影に暈されて、煤煙のやうに黝ずんでゆく、荷足舟が幾艘も繋つてゐて、河岸から小砂利や貨物や割石を積込む音が靜かな空氣を搖動かす。神樂坂にはもう懐かしい灯が、恰度芝居の遠見の書割を見るやうに美しく輝いてわれも人も吸ひよせられるやうに坂を上つて行く。紀の善の店前には印絆纒を着た下足番が床几に腰かけて路行く人を眺めてゐる、上框には山の手式の書生下駄が四五足珠數繋にされてゐて、拭きこんだ板間に梯子段が見える。田舎者で通つた早稲田の學生も此處のやすけが戀しくなれば先づ江戸つ子の部としたもの、その斜向ひの小路を入った處に島金といふ牛屋がある。専門學校時代から古い馴染みだ。坂を上り切ると左手の露路の突當りに洋食店の青陽軒があつて、早稲田界隈の高襟さんを一手に引受けてゐる。 何故恁うも人通りが多いのであろう、これが毎晩なのだ、寅午の緣日等と來ては海軍ならば夫れこそ舷々相摩すと公報に書く處だ。強ち道幅の狭隘が誇張的に見せる行為でもなかろう。誰れも彼れも暢氣さうな顔をしてゐる、兩側の露店のカンテラが一齊に空を赤めて、喧ましい呼聲が客足を止めさせる。特有のへら/\帽子を目深の飛白の書生が、昆沙門前で1人はヴァイオリンを弾き1人は本を口に当て唄つてゐるのが悲調を帯びて、願掛に行く脂粉の女の胸に淡い哀愁の種を蒔く。 |
外濠 そとぼり。江戸城の外側の堀の総称。水路で江戸城を取り囲んでいました。
煤煙 ばいえん。物の燃焼で煙と煤がでたもの
黝 正しくは「あおぐろ」が正確。青みを帯びた黒。
割石 わりいし。石材を割って、形が不定で鋭い角や縁をもつ石。
書割 かきわり。芝居の大道具。木枠に布や紙を張り、建物や風景など舞台の背景を描いたもの。何枚かに分かれていることから書割といいました。
紀の善 現在は甘味処ですが、戦前は寿司屋でした。ここに詳しく。
印絆纒 しるしばんてん。襟や背などに屋号・家紋などを染め抜いた半纏。
床几 しょうぎ。細長い板に脚を付けた簡単な腰掛け。
上框 うわがまち。戸・障子などの建具の上辺の横木
書生下駄 高下駄。10センチ以上視線が高くなります。
珠數繋 数珠は穴が貫通した多くの珠に糸の束を通し輪にした法具。じゅずつなぎ。糸でつないだ数珠玉のように、多くの人や物をひとつなぎにすること
板間 いたま。板敷の部屋。板の間。
やすけ 「義経千本桜」に登場する鮨屋の名は弥助でした。以来、鮨の異称として使いました。紀の善は戦前は寿司屋でした。
部 それぞれの部分。「これで君も江戸っ子だね」といったところでしょうか。
島金 現在は志満金です。
青陽軒 東陽堂の『東京名所図会』第41編(1904)によれば、神楽町3丁目の「六番地に青陽楼(西洋料理店)」と書いてあります。青陽軒は青陽楼のことでしょうか。
高襟 はいから。西洋風なこと
舷々相摩す げんげんあいます。ふなばたが互いに擦れ合う。船と船とが接近して激しく戦うようすを表す言葉。
狭隘 きょうあい。面積などが狭くゆとりがないこと。
カンテラ オランダ語kandelaarから。手提げ用の石油ランプ。ブリキ・銅などで作った筒形の容器に石油を入れ、綿糸を芯にして火をともします
へらへら 紙や布などが薄く腰の弱いさま
目深 まぶか。めぶか。目が隠れるほど、帽子などを深くかぶるさま。
飛白 かすり。絣とも書きます。かすれたような部分を規則的に配した模様や、その模様のある織物です。