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地蔵坂(写真)藁店、平成8年、ID 7900

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 7900は、撮影日時は平成8年(1996年)2月10日で、地蔵坂(藁店)をねらって撮影しています。電柱の途中から出る街灯は普通の蛍光灯です。電柱の上には柱上変圧器があり、電柱看板も見えます。
 縁石はなく、白い塗料で歩道と車道を区別し、また道路の両側に1列のコンクリートをつくり、雨水ますからの下水を流します。車道は平坦で、凹凸はありません。人は誰もいませんが、土曜日だからかもしれません。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 7900 神楽坂 地蔵坂

地蔵坂(藁店)(平成8年)
  1. 上海ピーマン Little China 中華料理 売店 お惣菜・お弁当
  2. かいぞく(料理)
  3. 床屋(モリワキ)
  4. めしよし 越野
  5. 小林石工店
  1. 電柱看板「割烹 おく瀬 この先坂上」
  2. (美喜、八百屋)
  3. 贔屓(すし、美喜の奥で上階)
  4. Charlie Brown(喫茶と酒)
  5. 鳥料理 〇〇〇料理 鳥竹
  6. 電柱看板「モリワキ」
  7. (ブティック Key’s)

『ここは牛込、神楽坂』第7号、平成8年(1996)、15頁

地蔵坂|散歩(360°パノラマVRカメラ)

文学と神楽坂

 地蔵坂(別名、藁坂(わらさか)藁店(わらだな))を下から上まで散歩しましょう。場所はここです。最初は神楽坂5丁目が出発点です。
 下の写真はどこに触れても自由に動きます。上向きの矢は一つ写真を前に進めます。左上の四角はスクリーン全面に貼る場合です。左下の数字は現在の写真です。
現在は「串カツ田中」。以前は「かぐらちゃか餃子庵」。その前は和カフェ「かぐらちゃか」。さらに前は「もん」で、店長のお父さんが神楽坂2丁目のペコちゃんの店主。さらに前は「あかつき」でした。

餃子庵

餃子庵

なんと神楽坂5丁目の右側はこれで終わりです。代わりに右側は「袋町」になります。
 では、神楽坂5丁目の左側は? 「上海ピーマン」は安いと有名。店舗が小さいのも有名。

さらに散髪屋と懐石料理店「真名井(まない)」があります。残念ながら閉店。16年2月に「神楽坂 鳥伸」に。
G

石鐵ビルの前身は小林石工店。
 かつての小林石工店。安政時代からやっていましたが、閉店。

小林石工店1

以上、神楽坂5丁目の左側です。これからは「袋町」です。袋町は豊嶋郡野方領牛込村と呼びました。この地の寄席「和良店」には江戸後期、写し絵の都楽や、都々逸坊扇歌が進出しています。寄席文化が花開いた場所なのです。

最初は「肉寿司」。肉寿司

以前は八百屋「丸喜屋」でした。いつも野菜や果物でいっぱいになった店舗でした。
丸喜屋2
 続いて、イタリア料理店のAlberini。Alberini

鳥竹とりたけの魚河岸料理・鳥料理、そのマンションの奥には「インタレスト」や「temame」など3軒。
temame
 ブティック・ケイズは婦人服の店兼白髪ファッション。へー、NHKの「ためしてガッテン」にも出ていたんだ。平成12年の「着やせ術」についてでています。

keys
 このブティック・ケイズが入るリバティハウスと、フランス料理のカーヴ・ド・コンマ(これも閉店)が入る隣の神楽坂センタービルは昔は1つの建物でした。昔は和良店(わらだな)から、藁店・笑楽亭、牛込高等演芸館、牛込館に変わりました。別に項を変えて書きます。
カーヴ・ド・コンマ
 坂本歯科も今も続き、「ギャルリー(ファン)」はギャラリーブティックでしたが、閉店に。現在は彫刻家具「良工房」になりました。
良工房
 また、反対側にはヘアーの専門店「ログサロン」。昔は(みやこ)館支店と呼び、明治、大正、昭和初期の下宿で、たくさんの名前だけは聞いたことがある文士達が住んでいました。ログサロン

標柱もたたっています。

地蔵坂(じぞうざか)
 この坂の上に光照寺があり、そこに近江国(滋賀県)三井寺より移されたと伝えられる子安地蔵があった。そこにちなんで地蔵坂と呼ばれた。また、(わら)を売る店があったため、別名「藁坂」とも呼ばれた。

ここで標柱の上と下をみておきます。
坂2

上には手焼き煎餅の「地蔵屋」も見えます。
坂1

さらに上に上がって光照寺、反対側には同じ標柱があります。

2013年6月7日→2019年5月23日