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下宮比町会(写真)大正13年 ID 10798

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 10798は大正13年(1924)、牛込区下宮比町会の会合を撮影したものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 10798 牛込区下宮比町会

 「大正十三年九月一日午前十一時五十八分 大正大震災一週年 牛込區下宮比町會」と墨書したのぼりが大木に貼ってあります。老若男女が整列し、多くの人は胸元にお札のようなものを入れています。
 右端に百度石があり、おそらく筑土八幡神社で撮影したと思います。背後の家から左の建物に渡り廊下が架けられていますが、その建物は足場で囲われています。震災の被害を修繕しているのでしょう。よく見ると左端の振り向いている女の子は狛犬に乗っています。
 また右端の建物は布で覆われ、屋根瓦が波打っている様子が分かります。土蔵のようなものが崩れかけているようです。
 おそらくは関東大震災1周年を期に町会一同が参拝して家内安全を祈願し、神札を授与された時の記念写真でしょう。右端の男性の印半纏に「親和會」の文字が見え、これが世話役だったかも知れません。
 震災直前、大正12年の筑土八幡神社の写真があります。手前の大木と奥の老樹、渡り廊下、狛犬などが確認できます。大正12年の本殿前の大木は、大正13年の木の形が同じですが、現在の社務所前にある桜と枝ぶりが違います。

築土山に鎮座す。明治5年村社に列せられた。東京市公園課。東京市史蹟名勝天然紀念物写真帖. 第二輯。大正12年

 下宮比町にはかつて宮比神社が鎮座しており、明治四十年に筑土八幡神社の境内に遷座しました。このID 10798の参道が現在と同じなら、右に分かれて続く先に宮比神社が祀られています。第2次大戦で焼失し再建されました。社殿の前の鳥居には「享和二年」(1802年)の刻印があります。百度石も場所を移して境内に残っています
 下宮比町会は現在、隣の揚場町と一体化して「飯田橋自治会」となっていますが、今も筑土八幡神社の氏子地域です。