新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 10794は昭和39年、新宿区北町の愛日小学校の給食を撮影したものです。
黒板に「六月十九日」とあります。昭和39年6月19日は金曜日でした。父母の参観日の様子でしょう。教室の後ろの母親らは外出着で、就学前の子ども連れやおんぶ紐の姿もあります。暑い日らしくサッシ窓が開いています。
黒板は低学年らしく平仮名ばかりです。生徒は木製の2人掛けの机で、横にランドセルを掛けています。
机の数は前後6列、一番右は7列あります。左右は見切れている左側にもう1列ありそうです。4×6+1=25の机に2人ずつで、1学級50人です。
文部省は50人だった義務教育の学級定員を昭和39年度から45人に引き下げました。ただ教室や教員が不足していて守られないケースもあったようです、
給食は角形トレーに厚めの食パン。2枚もらっている男の子もいます。主菜と副菜の2品を先割れスプーンで食べています。小さめのお椀は脱脂粉乳と思われます。第2次大戦敗戦後の米国からの援助物資として始まり、地域によっては昭和40年代まで続きました。
愛日小学校の歴史では…
期間 | 出来事 |
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明治3年 | 東京府第三校開設(愛日校の前身) |
明治13年7月 | 牛込区北町26番地に吉井学校と市ヶ谷学校の二校を合併、愛日校を創立。 |
昭和20年5月 | 戦災で校舎全焼する。 |
昭和21年4月 | 愛日国民学校は閉鎖し、児童は市谷、津久戸、牛込仲之小学校に移る。 |
昭和27年9月 | 東京都新宿区立学校設置条例により、愛日小学校の設置が決まる。 |
昭和31年12月 | 東京都新宿区北町26番地に、小学校として我が国最初の4階建て鉄筋コンクリート校舎建築に着手する。(第一期工事) |
昭和32年3月 | 東京都教育委員会より、東京都新宿区立愛日小学校設置が認可。 |
昭和32年4月 | 学区域変更により、市谷、津久戸、牛込仲之小学校より、1年から5年まで786名を受け入れ、入学式を市谷小学校で行う。 |
昭和32年9月 | 新校舎で第2学期始業式を行う。(第一期工事完成) |
昭和29年、学校給食法が制定されました。また農林水産省「ふるさと給食自慢」の献立例では、昭和39年、「揚げパン、ミルク(脱脂粉乳)、おでん」という献立が出ています。