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神楽河岸(写真)ID 13226 昭和45年頃

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13226は神楽河岸、飯田濠と国鉄飯田橋駅などを撮ったものです。飯田濠の東岸は新宿区で神楽河岸、右岸は千代田区で飯田河岸です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13226 飯田橋駅 飯田河岸

 比較するため、池田信氏の「1960年代の東京-路面電車が走る水の都の記憶」(毎日新聞社、2008年)を見てみたいと思います。

池田信「1960年代の東京-路面電車が走る水の都の記憶」(毎日新聞社、2008年)

 池田信氏の撮影時期は昭和40年4月です。壕の中央に台上のものがあり、左岸からは坂のようなものでつながっています。これは建設廃材の積み出し場だったと思われます。
 北見恭一氏は『神楽坂まちの手帖』第8号(2005年)で「かつて、江戸・東京湾から神田川に入る船便は、ここ神楽河岸まで遡上することができ、ここで荷物の揚げ下ろしを行いました。その後、物資の荷揚げは姿を消しましたが、廃棄物の積み出しは昭和40年代まで行われており、中央線の車窓から見ることができたその光景を記憶している方も多いのではないでしょうか」と書いています。
 壕は浅く、両岸は干上がって底が見えています。喫水の浅いはしけなら、中央部をかろうじて運行できたのでしょう。
 ID 13226に戻ると、池田信氏の写真に比べて飯田橋交差点の歩道橋と首都高速が完成しています。首都高が開通した昭和44年以降の撮影だと分かります。
 中央に浮体式のクレーンがあり、左岸に鋼矢板こうやいた(シートパイル)を杭のように打ち込んでいます。右岸の石垣下の底の泥が減っているように見ますが、この工事の船を入れるために浚渫したのかも知れません。
 昭和48年2月のID 8792、8793では鋼矢板は並行に3列あります。ID 13226はこれより前、第1列の工程でしょう。
 有楽町線建設史の年表によれば、8号線(有楽町線)飯田橋第一工区の着工は昭和46年(1971)5月、同第二工区の着工は同年8月でした。
 ID 13226の工事が地下鉄工事とすれば、撮影時期は昭和46年かもしれません。新宿区の神楽河岸現場詰所で撮った写真だと思います。
 右岸に並んでいる建物は地図では倉庫ですが、右端の建物は地図では車庫で、一番奥の窓のある建物はID 493などでは寮(社宅)でした。
 飯田橋駅のホームにはたくさんの人が電車を待っています。

住宅地図。昭和45年