新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 495-97とID 11472-73, ID 11475は、昭和51年8月、飯田濠、飯田橋(架橋)、飯田橋歩道橋、遠くの首都高などを撮影したものです。
ID 495-496の2枚は、下の地図の赤線の画角です。右の橋がコンクリート製の飯田橋。正面が新宿区側の護岸の石垣です。
この様子は昭和初期の「日本地理風俗大系 大東京」(誠文堂、昭和6年)の写真から変わっていません。
石垣に関しては、大正8年頃の絵はがきと同じに見えます。この石垣は今は人工地盤の下に隠れています。今も利用される飯田橋は昭和4年(1929)に鉄橋からコンクリート製の橋に改良されています。
左から……
- 看板「Coca-Cola 焼肉 京城館」「(サクラ)はカラーFH」
- 公衆電話ボックス
- 歩道橋「(目)白通り/新宿区下宮比町」
- 電柱看板「◯科」
- 看板「麻雀 東南荘」「近畿日本ツーリスト」「サッポロビール 八鶏園」「イーグルボウル」「写真植字機」
- (終わり) (転回禁止)(駐車禁止)
- 看板「所」「東京都◯◯◯◯◯◯事務所」
- 目白通りを横断する歩道橋。
- 飯田濠と飯田橋(架橋)
- 首都高速道路5号線(池袋線)
- (指定方向外進行禁止)、(時差式信号)、信号機
- 歩道橋「外堀通り/新宿区下宮比町」
ID 497はやや右にズレて、地図の青線の画角で撮影しています。
左寄りの東京都の看板は「セントラルプラザ飯田橋」の完成予想図ですが、この時点では名称も決まっていなかったはずです。飯田濠の再開発は昭和48年3月に始まりましたが、地権者の反対で難航しました。紆余曲折の末に昭和59年に商店街ラムラが開業。昭和61年3月、13年を経て再開発事業は完了します。
正面右奥、歩道橋の下り階段が見えます。この階段は後に撤去され、交差点の向こうの新宿区を結ぶ歩道橋が増設されました。
では左から……