神楽坂|芸者新路

文学と神楽坂

芸者新路は明治時代にできた路地で、仲通り本多横丁をつなぐ小道です。

昔は「芸者屋新道」「芸者屋横丁」と書いていました。現在は「芸者新路」「芸者新道」と2つの表記が混在しています。

昔は表通りが商店街、裏通りは三業界でした。当然、ここ裏通りは三業界になり、料亭・置屋・待合が多く、お座敷に駆け付ける芸者さんたちで肩が触れ合うくらいに混雑して、お座敷に出るため近道として利用しました。

「ロクハチ通り」と呼ばれたこともあります。「ロクハチ」というのは料亭の宴席の開始時間で、一回目が午後6時、二回目が8時です。西村和夫氏の『雑学 神楽坂』では「神楽坂では芸者の座敷は2時間と決められている。8時を過ぎると次の座敷に移る」そうです。

1930年ごろまでは非常に華やかな場所でしたが、戦争に入るとその華は次第に消えていきます。戦争が終わり、戦後の1950年代になると、一時、ほぼ昔の勢いを取り戻しましたが、それからは徐々に花柳界の色は減っていきます。1980年ごろには4、5軒の料理屋さんがあるだけでした。たとえば1990年2月、大久保孝氏は「坂・神楽坂」でこう書いています。

 石段を登り芸者新路に入って行った。

 同じこの道を昔は芸者屋新道と云っていたようである。それにしても、そういう名前をつける程の道ではない。僅か4、5軒の料理屋が点々とあるだけで、昔のように入口に検番があって、置屋が十軒、待合が十軒両側にならんでいた頃とは趣きが全く違う。入口にあった大きな料亭「末よし」も今はビルになっていて昔の面影はない。すぐ本多横丁にでるがその間話をすることもない。

ところが、2000年に入る時期になって、逆に飲み屋や、和食、レストランはあっという間に増えてきました。基本的な料理は和食が多いのですが、やはりイタリアンやフレンチなども出ています。 和食は… 芸者新路1

イタリア店は… 芸者新路JPG

しかし、ここは神楽坂通りと比べると、1軒の広さは大きくなっていますが、店舗数はわずかです。あらゆる物がそろっている神楽坂通りとは異なり、飲食店しかありません。陶磁器も香も茶もなく、雑貨屋もコンビニもファッションも子供用品もありません。昔は待合や芸妓屋ばっかりでもよく、結構広さは大きかったのです。 ここも昔は石畳でした。それがよかったのですが、1990年代に、当局から石畳は使えないといわれて現在のものに変えました。う~ん、あまりよくはないなあ…。すべて私道です。

芸者

この通りのJR側の入口は急に傾斜がある坂で、階段が付いています。これは本来の神楽坂通りの傾斜だといいます。



階段の話
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