気まぐれ本格派」タグアーカイブ

白銀公園(写真)昭和30年代後半と令和2年

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 6554-6555、7169、13535は昭和30年代後半(1960年代前半)、ID 14916は令和2年(2020年)5月、白銀しろがね公園を狙った写真です。またID 7169は「白銀公園 遊具で遊ぶ子どもたち」としてこのデータベースの写真が紹介されています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 13535 白銀公園

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 6554 白銀公園

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 6555 白銀公園

 昭和18年4月東京市立公園として開園し、「新宿区15年のあゆみ」(昭和37年、新宿区役所)によれば、昭和25年1月1日、新宿区に移管されました。昭和36年では区20か所のうち面積で5番目(4167㎡)に大きく、牛込地域では1番目でした。ID 13535、ID 6554と6555では、昭和35年にコンクリート製の「石の山」が整備されました。昭和36年、「石の山」と「オーシャンウェーブ」、ブランコ、シ-ソー、はしご各々1つだけで、現在では寒々した遊具です。かわりにベンチ22個があり、区では2番目です。
 ID 6554-6555は晴天で陽差しが強く、ID 13535は曇天のようです。どちらも地面は四角いブロック敷き。子どもは長袖、木々の葉は落ちていて冬ですが、おそらく違う時間の撮影です。

石の山全景「新宿区15年のあゆみ」(昭和37年、新宿区役所)

「新宿区15年のあゆみ」には当時のカラー写真もあります。「石の山」は石垣や手すりに囲まれています。別の区域ではヤシ科と思える植物は数本並び、樹木は若木になっています。
 当時の様子を国土地理院が公開している航空写真で見ると、園内が4つのエリアに区切られていることが分かります。十文字の道のコーナーの黒っぽく写っている部分が石垣と手すりです。「石の山全景」は下図のカメラ位置からの撮影でしょう。
 この区切りや石垣は現在はなく、園内は平らになっています。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 7169 白銀公園 遊具で遊ぶ子どもたち

 ID 7169の「オーシャンウェーブ」について、地理院地図の航空写真では左にある丸い遊具でしょう。ある人は「かなりのデンジャラスなしろもので高速回転の遠心力に耐え切れず吹き飛ばされる者、わっかと支柱に挟まれる者などケガ人続出で、うちの学校では高学年しか使用できない玄人用の遊具でした」。したがって「石の山」が現在もあるのに「オーシャンウェーブ」は短命だったと思います。
 また、「新宿区15年のあゆみ」(昭和37年、新宿区役所)では、昭和36年、初めて地面を播く時に砂の代わりに砕石ダストを使っています。しかし時期は「昭和30年代後半」だけなので、写真を撮った時点で砕石ダストを使ったのか不明です。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 14916 白銀公園

 令和2年5月のID 14916でも「石の山」は健在で、子どもに人気です。青々と木が茂り、全員半袖です。奥にはグローブジャングル、手前にジグザグ平均台が見えます。
 地面は石灰ダストの舗装をしています。これは石灰岩を細かく砕いた砂粒で、それを固めた舗装です。「石灰岩」は「塩化カリウム」を含んでいて、雑草などを取り除いてくれます。
「石の山」は白銀公園の象徴的存在で、意外なシーンにも登場します。

白銀公園 1977年 TV「気まぐれ本格派」第32話

善國寺(写真)昭和51年 ID 11481

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11481は、昭和51年、毘沙門天善國寺やスゴオ洋菓子店仮営業所などを撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11481 神楽坂 善国寺前 スゴオ洋菓子店仮営業所

 善国寺は昭和20年5月25日夜半から26日早朝にかけて大空襲で焼失、昭和26年、木造の毘沙門堂が再建し、昭和46年に今の本堂を建てています。したがって、昭和51年には現在の本堂ができてから5年目になりました。
 左奥には毘沙門横丁という道路があります。車道はアスファルト舗装で、歩道はありません。続けて、側溝、縁石です。
 毘沙門横丁に面して善国寺の脇門があり、大きな鉄枠の門扉が横に開く構造になっています。ここは境内をイベント会場や臨時の駐車場に使う時の入り口です。現在も同じ場所に脇門がありますが、この写真当時より幅が広くなっています。
 境内のスゴオ洋菓子店仮営業所は、ID 9911の竹谷電気工事の仮店舗と同じ建物のようです。続けて利用したのかも知れません。
 スゴオ洋菓子店は4丁目、三菱銀行前にありました。ID 6338(1958年)には古い店舗の看板「純フランス菓子ス(ゴオ)」が見えます。また1977年のTVドラマ「気まぐれ本格派」第10話には新築したビルの1階店舗「洋(菓子) ス(ゴオ) COFFEE」が映っています。この写真の1976年頃は新ビルが完成間近だったと思われます。

楽山旧店舗とスゴオ洋菓子店(後の英和ビル)(TVドラマ「気まぐれ本格派」第10話から。1977年)

 ID 89(1979年)でもスゴオが確認できます。現在はこのビルも取り壊され、隣の楽山と一緒の「楽山ビル」の一部になりました。

神楽坂5丁目(昭和51年)左→右
  1. 電柱1本。上から電柱看板「料亭 松ヶ枝」、蛍光灯、看板「 大久保」、「神楽坂3-7」
  2. 掲示板。上に横書き5文字(ID 8247によれば「新宿区役所」) 、脇に縦書き8文字(「箪笥町特別出張所」か)
  3. 奥に善國寺
  4. 善国寺の脇門。模様はない。
  5. 車両進入禁止マーク。「自転車を除く」
  6. 女性の顔に一見みえるが、多分違う。電気の盤かな?
  7. 石囲いはここで終わり…
  8. 毘沙門天の境内で、スゴオ洋菓子店 仮営業所 洋菓子のスゴオ。店内にはショーケースと化粧箱、右端に人影
  9. 「ゴ」の上に円盤形の境内灯

逆転式一方通行の延長

 逆転式一方通行の延長について、地元の方は…

 神楽坂通りに、逆転式一方通行が導入されたのは東京新聞調べの1958年(昭和33年)だということは「逆転式一方通行・再考(写真)」で考察しました。逆転式はその後、千代田区側に延長されます。
 1977年(昭和52年)のテレビドラマ『気まぐれ本格派』の牛込見附交差点のシーンには、歩行者用道路と「ランチタイム・プロムナード」(スプーンとフォーク、ティーカップ)の標識が写っています。正午から午後1時までを歩行者天国にするもので、歩行者が道の真ん中を歩いているので、ちょうど実施中と思われます。

『気まぐれ本格派』32話

 右側の高い位置にも、大きな歩行者用道路の標識が見えます。これは回転式で、時間によって表示内容が変わります。神楽坂通り入り口にも同じ標識があり、「逆転式一方通行・再考(写真)」の記事のID:9109(昭和51年8月26日)で確認できます。
 また「神楽坂1丁目(写真)昭和54年 ID 85、ID 86」の記事にも回転式標識が写っていますが、表示は「調製中」です。故障していたか、あるいは表示内容を変えようとしていたのかも知れません。
 渡辺功一氏の『神楽坂がまるごとわかる本』では、昭和54年(1979)4月1日に逆転式が延長されたとあります。しかし『気まぐれ本格派』ではシーンによって牛込橋を通る車の向きが逆になっています。少なくとも千代田区の牛込橋部分については、昭和52年時点で逆転式一方通行が実施されていたことが分かります。

気まぐれ本格派(1)

文学と神楽坂

 「気まぐれ本格派」は昭和52年(1977)年10月26日から昭和53年(1978)年9月20日まで日本テレビ系列で放送されたテレビ映画です。最初は道路や石畳を中心に書いていきます。

 最初は、神楽坂通り/美観街の標識で、構成は4つ。赤い文字で➀「神楽坂通り」と➁「美観街」、脇には➂縞々のH、さらに➃四角の箱です。夜になると、外から水銀灯で照らしています。

 次は「餅花もちばな」を模した正月向けの飾りです。本来は餅が柔らかいうちに団子にして、花に見立てて木の枝につける冬の風習です。

 これも冬の風景。クリスマスではないと思います。この時代、クリスマスだからといっても大々的に大騒ぎはしませんでした。ほかにも、いろいろな造花があったようです。

 芸者新道ですが、これも石畳でした。なお、2枚目の「堂」は「明月堂」の「堂」です。

 さらに牛込橋も石畳でした。下で青線で引いた場所でしょう。
 軽子坂も出てきます。今と道幅は同じです。左側の高い石積みと塀は地元の資産家・升本家の広大な本邸でした。車止めの部分が門にあたります。

 なお「軽子坂プロジェクト」でビルが後退したのは津久戸町のところです。
 田口重久氏の「歩いて見ました東京の街」では