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神楽河岸(写真)飯田濠 ID 8285 昭和44年頃か

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」は、ID 8285は「昭和44年頃か」として、飯田橋駅から神楽河岸を撮影しました。牛込橋の桜は葉が落ちて裸木になっていて、晩秋から早春にかけての時期でしょう。また、ID 8285とID 8267と8269は桜の枝ぶり、濠の干上がり具会までそっくりで、同じ時の撮影でしょう。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 8285 神楽河岸

 飯田橋駅のホームの市ヶ谷側、西口に向かうスロープの下から撮った写真です。線路は中央・総武線1番線で、新宿駅方面から御茶ノ水駅方面に乗客を運びます。
 右下は飯田濠ですが、この頃、悪臭に悩んでいて、アオコもありました。また建物についてはID 8267と8269ID 8265を参照してください。

AーD 神楽坂警察署跡地の警視庁の施設。第2機動捜査隊や神楽坂下巡査派出所、寮などに使われた。 E 新宿区役所土木課 F 大郷木材店(倉庫) G 大郷木材店(倉庫)
1 とんかつ森川旧店舗(立喰そば? 早稲田通り) 2 二鶴(早稲田通り) 3 佳作座(外堀通り) 4 三和計器製作所(外堀通り) 5 城北ガレージ(外堀通り) 6 パチンコジャイアンツ(外堀通り)
ⅰ 家の光会館 ⅱ 理科大 ⅲ 双葉ビル ⅳ 理科大 ⅴ 田口屋ビル(神楽坂通り) vi 喫茶軽い心(神楽坂通り)vii 五条ビル(神楽坂通り)viii 神楽坂ビルディング(神楽坂通り)

神楽坂1丁目(写真)昭和48年 ID 67

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 67は、昭和48年(1973年)5月22日、牛込橋から神楽坂1丁目などを撮ったものです。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 67 飯田橋駅付近より坂上方向

 中央の通りは早稲田通りで、中央帯はありません。渡辺功一氏によれば、昭和54年にここも逆転式一方通行になったといいます(『神楽坂がまるごとわかる本』けやき舎、36頁)。この通りの右側は神楽河岸、左側は神楽坂1丁目です
 街灯は円盤形の大型蛍光灯ですが、左側の街灯(写真では「同棲時代」の右前。4枚目の写真)だけが形が違っています。新宿区の予算ではなく、この場所は区境を越えて、千代田区でした。
 また、最前部の車道と歩道は、石畳でした。この時代の牛込橋はコンクリート製。平成8年に現在の鋼製の橋に架け替えられました。ID 68も同様です。

 最初は4階以上の高層ビルです。これこそ地元の方の協力がないとできません。

高層ビル

  1. 理科大
  2. 週刊大衆なので双葉ビル
  3. 理科大
  4. 1丁目の田口屋(花屋)ビルで5階建て。2丁目の田口屋は2階建て
  5. 大島ビル。1階は大島糸店。4階建て。竣工は1959年5月。
  6. 五条ビル。2丁目。竣工は1967年。
  7. 三菱銀行。3丁目。現在は三菱UFJ銀行。
  8. 「軽い心」のビル。2丁目。現在はカグラヒルズビル
  9. 丸金ビル。3丁目。神楽坂仲通り。1973年の住宅地図だと「金丸ビル」。現存しません。
  10. 川田ハイツ。3丁目。現在は「クレール神楽坂6」。1973年6月竣工、5階建て。芸者新道に面していて、上に行くほど床面積がすぼまります。
  11. 七福ビル。2丁目。1971年2月竣工。5階建て。足元に「神楽坂ゴルフガーデン」(緑の楕円)がありました。

84年 住宅地図。五条ビル、大島ビル、田口ビル。丸金ビル、川田ハイツ、七福ビル。

 では1丁目です。左から右に…

67 1丁目

  1. キッチン熊
  2. ボート場
  3. 街灯。赤い円。新宿区のものではない。
  4. もつやき、正宗。キリンビール。やなぎ
  5. 立喰そば。飯田橋
  6. 金鷹。ラーメン。(二鶴)
  7. 電柱に「とんかつ森川」
  8. とんかつ森川。白鷹。
  9. コーヒー77
  10. 東山酒蔵

 右側に電柱看板「洋装店 ナカノ」があります。現在は3丁目のナカノビル。

神楽坂、坂と路地の変化40年(2)|三沢浩

文学と神楽坂

 『神楽坂まちの手帖』第10号(2005年)に建築家の三沢浩氏が小栗横丁を主体として書いています。氏は1955年、東京芸術大学建築科を卒業し、レーモンド建築設計事務所に勤務。1963年、カリフォルニア大学バークレー校講師。1966年、三沢浩研究室を設立、1991年、三沢建築研究所を設立しました。なお、(1)(3)も引用可能の分量に限って引用します。

神楽坂、坂と路地の変化40年

 小栗横丁は20数年の間、自宅からの通勤路だった。だから最近のこの道の変遷には、驚きひとしおである。神楽坂に外堀通りから入り、理科大への田口生花店の角を左へ、そして古い石垣と志満金厨房の間を右に入る。そこから始まり、突き当たりの西條歯科で終わるゆるいカーブの続く、200m余の路地が小栗横丁と呼ばれる。石垣の所に元禄時代1700年頃の、江戸切絵図に小栗五大夫の屋敷が見える。文政の1800年代には、西條歯科の斜め前の丸紅若宮寮の場所にも小栗仁右衛門とあり、これも路地に名を残す一因ではなかったか。
 左側の神楽坂2丁目22番に、泉鏡花明治38年まで4年間住み、並びの家北原白秋明治42年まで、2年間住んだことになっている。「からたちの花」はここで生まれたのかどうか。今は理科大附属の外人教師館だが、以前は石段の上に平屋の板張り小住宅が、草花やつりしのぶに囲まれてひっそりとあり、中からクラシック音楽が流れ出ていた。右の細い路地、夏日写真館の脇を抜けると神楽坂で、入口にガス灯つきの石の門があった。


ひとしお 一入。ほかの場合より程度が一段と増すこと。何か特別な事情や理由があって一段と程度が増していること。

小栗横丁。1983年。住宅地図

外堀通り 皇居のまわりを一周する最大8車線の都道。
理科大 東京理科大学。新宿区神楽坂一丁目に本部を置く私立大学
田口生花店 正しくは田口屋生花店
志満金厨房 志満金はうなぎ割烹を主にする日本料理。厨房とはその調理室のこと
西條歯科 最西部にある歯医者
江戸切絵図 江戸時代から明治にかけてつくられた区分地図。

元禄と文政。新宿区教育委員会『地図で見る新宿区の移り変わり』昭和57年から

丸紅若宮寮 大手総合商社丸紅株式会社の共同宿舎。2001年には依然開設し、2010年には終了しています。
明治38年 泉鏡花旧居跡では、明治36年3月から明治39年7月まで住んでいたとのこと。この「泉鏡花・北原白秋旧居跡」は泉鏡花の旧居だといいます。
並びの家 道などの同じ側。神楽坂2丁目22番はかなり大きな場所です。その2軒に泉鏡花氏と北原白秋氏の2人がいたわけです。おそらく別の家に住んでいたのでしょう。

神楽坂2丁目。東京市区調査会「地籍台帳・地籍地図 東京」(大正元年)(地図資料編纂会の複製、柏書房、1989)

明治42年 北原白秋旧居跡では、明治41年10月末から明治42年10月まで住んでいたとのこと。
からたちの花 大正13年、「赤い鳥」で詞を発表。歌詞は「からたちの花が咲いたよ/白い白い花が咲いたよ/からたちのとげはいたいよ/靑い靑い針のとげだよ/からたちは畑の垣根よ/いつもいつもとほる道だよ/からたちも秋はみのるよ/まろいまろい金のたまだよ/からたちのそばで泣いたよ/みんなみんなやさしかつたよ/からたちの花が咲いたよ/白い白い花が咲いたよ」
外人教師館 地図によると「東京理科大学神楽坂客員宿舎」(右下)。その後、新宿区若宮町に移動しました。

1996年。住宅地図

つりしのぶ 釣り忍。竹や針金を芯にして山苔を巻きつけ、その上にシノブの根茎を巻き付けて、さまざまな形に仕立てたもの。
夏日写真館 以前は坂上を見て左側でした
ガス灯つき ガス灯つきの石の門に相当する門は思い出せないと、地元の人。下は商店会の街灯でした。

夏日写真館

 次の右折れの先は、藤原酒店と向き合って整美歯科、左は急坂を経ると加賀まりこさん宅へ抜ける。熱海湯前までは粋な飲食店が並び、そのうちの一軒は、やや広くなった通に店内から、客用の椅子を出して日向干し。この店の入口にはほぼ毎日、ふぐひれも干してあって、ひれ酒を誘った。熱海湯右の石段を登れば斉藤医院、突き当たりは履き物の「助六」の裏庭で、いつも池への水音が優雅。熱海湯前には煉瓦の階段がゆるく登る、手すりつきの路地があって、突き当たりには桜の古木が、すばらしい花を見せた。
 さてこれから突き当たりまでが、小栗横丁の舞台。右側は黒塀が続いて、名だたる料亭があった。まず喜久月、続いて鷹の羽、その裏に接して重の井。重の井の入口は若宮八幡の通りで右に折れ、坂を登った突き当たりが、このあたりに君臨していた松ケ枝となる。もちろん小栗横丁ではないが、道の左右には仕出屋芸妓置屋があった。

1973年、住宅地図

斉藤医院

整美歯科 以前は「正しくは臼井歯科では? 非常に短命に終わった整美歯科か、名前だけを間違えて正しくは臼井歯科だったのでしょう」と書きましたが、しかし、昭和42年の『新修新宿区史』を見ると、整美歯科は確かにあったようです(参照は「新修新宿区史」で左端の電柱広告を)。
加賀まりこ かがまりこ。女優。生年は1943月12月11日。千代田区神田小川町に生まれ、神楽坂2丁目で大きくなった。フジテレビの『東京タワーは知っている』でデビュー。和製ブリジット・バルドーとも。
若宮八幡 鎌倉時代の文治五年秋、若宮八幡宮を分社した。図の「若宮町」よりもさらに南に存在。「出羽様下」通りと同じ。
仕出屋 注文に応じて料理をつくり届けることを業とする家
芸妓置屋 芸妓を抱えて、料亭・茶屋などへ芸妓の斡旋をする店。芸妓屋。芸者屋。置屋。

 ある夕刻、この道筋を帰ってきたが、花屋から石垣の角を曲がるあたりで、脂粉の香がひと筋流れているのを感じた。この小路は巾2~3m、しかも大きくカープしながら、時にはねじれるように曲がって先が見通せない。しかも次第にゆるく登る。脂粉の流れは左右に消えることなく、家並みに沿って続いていたが、熱海湯先で消えた。料亭には置き塩のある格子戸の入口と、黒塀にとりつけた小さな木戸がある。どの入口に入ったものか。
 その格子戸を開けると、打ち水された坪庭、黒松が枝を延ばし、玄関は右か左に90度折れた所にあって、格子戸越しには全貌は見えないのが常。玄関の式台を上がると、右に折れて次の間、また90度折れて座敷に近づく。狭い敷地に小栗横丁から入り、奥行きを深くするための、日本流の入り方がそこに残っていた。植え込みに遣り水踏み石灯龍に灯、粋な庭には朝から手入れをする仲居さんの姿があり、一本ずつ格子を磨くのも仕事のうち。夕刻ともなると、ある入口には一流製鉄会社の黒い背広連、別の料亭では横山隆一等の漫画集団の姿も見た。三味線の高鳴る黒塀からは、経理関係の組合などが溢れ出したり。

脂粉 しふん。紅とおしろい。
次第にゆるく登る ノエル・ヌエット氏が描いた「若宮町」も上にのぼっています。この絵画もここでしょうか。

若宮町。ノエル・ヌエット作。1946年。画集「東京」から

現在の神楽坂2丁目から若宮町に

置き塩 盛り塩。もりしお。塩を三角錐型や円錐型に盛り、玄関先や家の中に置く風習。縁起担ぎ、厄除け、魔除けの意味があります。
格子戸 格子を組んで作った戸。
木戸 街路、庭園、住居などの出入口で、屋根がなく、開き戸のある木の門。
打ち水 ほこりをしずめたり、涼をとるために水をまくこと。
坪庭 建物と建物との間や、敷地の一部につくった小さな庭。
式台 玄関の土間とホールの段差が大きい場合にその中間の高さに設けられる横板
遣り水 やりみず。水を庭の植え込みや盆栽などに与えること。
踏み石 通常は、玄関や縁側などにある、靴を脱ぎておく踏み台のような石。日本庭園にある飛び石。
灯龍 とうろう。日本古来の戸外照明用具。竹,木,石,金属などの枠に紙や布を張って,中に火をともす。
仲居 旅館や料亭などで客の接待をする女性。
横山隆一 漫画家。第2次世界大戦後『毎日新聞』に『フクちゃん』を1956年~71年まで連載。生年は1909年5月17日、没年は2001年11月8日。享年は満92歳。