高島屋10銭20銭ストア(写真)

文学と神楽坂

 「三井住友トラスト不動産」の「四谷・牛込」で「戦前期の四谷・牛込」「神楽坂にあった均一ストア」(https://smtrc.jp/town-archives/city/yotsuya/p06.html)を見てみます。

高島屋

百貨店の『高島屋』は1927(昭和2)年より店内に均一商品の売場を設け好評を得ていた。1931(昭和6)年、10銭均一の『高島屋10銭ストア』を大阪で開業。その後、20銭均一の商品も加えて『高島屋10銭20銭ストア』として全国でチェーン展開。「昭和恐慌」の時勢ということもあり、翌年には51店舗まで成長した。1935(昭和10)年の資料では、陶磁器、菓子、玩具、家庭・雑貨用品など、10銭均一の商品として2,000種以上、20銭均一の商品として400種以上を取り扱っていた。現在の100円ショップの原型といえるものであった。写真は1932(昭和7)年に開店した『高島屋10銭20銭ストア 神楽坂店』で、1933(昭和8)年頃の撮影

 では、早速、国立国会図書館で東京交通社「大日本職業別明細図」(昭和12年)のコピーを依頼しました。でてくると、写真はこれだけ。巨大な地図の一部なのでした。

 では文章は? はい、これだけです。

10銭20銭ストア

 あとは全部「三井住友トラスト不動産」が作った説明だったのです。最後に「三井住友トラスト不動産」では

1938(昭和13)年には別会社の「丸高均一店」として独立、最盛期となる1941(昭和16)年に106店舗となったが、その後、戦時下になると均一での販売は困難となり、戦局の激化に伴い次々と閉店に追い込まれた。

「てくてく牛込神楽坂」の「三角堂と買取り店」では神楽坂アーカイブズチーム編「まちの思い出をたどって」第1集(2007年)からの引用を行い、

相川さん (中略)そこへ十銭ストアができた。
山下さん 「高島屋」が? そんな間口が広かったですか?
馬場さん そんな広くないですよ。
相川さん 二間半ぐらい。
山下さん もっと大きいっちゅうような感じがしていた。繁盛していたんだよな。高島屋系統は下にもあったしね。
相川さん 飯田商事というのが高島屋をやっていた。
馬場さん 一時期、高島屋と論争してね。「丸高ストア」と名乗ったときも記憶がある。高島屋さんというのも飯田さんの系統だから。なんかあったんだと思う。

 高島屋10銭ストアは「時代」が「震災後」の所にあります。

時代←北西南東→
震災前洋服・都築機山閣玩具店松葉塩物神楽坂せんべい
震災後菊岡三味線山岡書店三角堂メガネ
昭和5年頃
(1930)
高島屋十銭ストア
(昭和7年以降)
ナトリ理容室岡沢菓子店
1952(空き)雑貨パチンコ楽器レコード
リード商店
1955明治牛乳関口商店うなぎ大和田
1963(空き)
1980Fance
1999菱屋弁当たぐち(建)
2010五十番キッチンママセイジョー
2018チカリシャス買い取り店
2020全て閉店
2021将来の道路神楽坂5丁目ビル

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

This site uses Akismet to reduce spam. Learn how your comment data is processed.