まず全体を示します。建物の南側しか入ることは出来ません。
東西線の早稲田駅か大江戸線の牛込柳町駅から歩いていくことになります。南側正面の漱石公園の写真は下に。①は「新宿区立 漱石公園」です。
②漱石の胸像。中央は「夏目漱石」。右は「則天去私」。意味は、天地の法則に従い、私心を捨て去ること。夏目漱石が晩年に理想とした境地を表した言葉。「そくてんきょし」と音読するか「天に則私を去る」と訓読するようです。
左は読めませんが、後ろに回ると解説があり、
この公園は文豪夏目漱石の終焉地です。 誰もが、快適に過ごせるように、先のことは禁止しています。 車輌の乗入れ 花火・爆竹 夜闇に騒ぐ 寝泊り たき火 飲酒に伴う迷惑 タバコを吸う 動物へえさやり 犬を入れる 糞の放置 球技 |
漱石の散歩道
明治の文豪夏目漱石は、現在の喜久井町で生まれ早稲田南町で亡くなりました。漱石の作品には、早稲田・神楽坂界隈が数多く登場します。漱石は、ときには一人で、ときには弟子たちとこの周辺を散策し、買い物や食事を楽しみました。漱石を身近に感じながら、歩いてみてはいかがですか? |
❶ 誕生の地 新宿区指定史跡 新宿区喜久井町1(当寺:牛込馬場下横町) 漱石は慶応3年(1867)、当時の牛込馬場下横町に生まれました。現在その地には、生誕100年を記念した石碑が建てられています。石碑の題字は弟子の安部能成の筆によるものです。
❷ 夏目坂 ❸ 小倉屋 新宿区馬場下町3 ❹ 誓閑寺 新宿区喜久井町61 ❺<現在地> 終焉の地 新宿区指定史跡 新宿区早稲田南町7 ❻ 漱石旧居跡 *現在はありません ❼ 神楽坂 新宿区神楽坂1~6丁目 ❽ 和良店亭 *現在はありません ❾ 田原屋 *現在はありません ❿ 善国寺(毘沙門天)新宿区神楽坂5-36 ⓫ 相馬屋 ⓬ 東京理科大学 (旧)東京物理大学 新宿区神楽坂1-3 |
夏目漱石は、明治40年9月、この地に引っ越してきました。そして大正5年12月9日、『明暗』執筆中に49歳で亡くなるまで、多くの作品を生み出したのです。漱石が晩年住んだこの家を「漱石山房」といいます。漱石は面会者が多かったので、木曜日の午後を面会の日としました。これが「木曜会」の始まりです。「木曜会」、漱石を囲む文学サロンとして、若い文学者たちの集う場となり、漱石没後も彼らの心のよりどころとなりました。
新宿ゆかりの明治の文豪 漱石の書斎の様子 |
⑥ベランダ。ただの張りぼてです。なんかなあ。
⑦「道草庵」。遠くに猫塚も見えます。「道草庵」は別にここで。小冊子2冊をタダでもらえます。
⑧猫塚と漱石終焉の地
猫塚について。これは漱石没後の大正8年(1919年)、『我輩は猫である』のモデルとなった猫の13回忌にあたり、漱石山房の庭に建てられた供養塔です。残念ながら『我輩は猫である』の猫ははいってはいませんが、夏目家のペットの合同供養塔です。九重の層塔です。層塔とは屋根が幾層にも重なっている塔で、三重の塔や五重の塔などで有名。なお、現在の供養塔は、昭和28年(1953)12月に復元されたもので、九重の塔としては昔の方がよかった。
⑨ トイレです。
なお、この公園を前に行く道路は「漱石山房通り」といいます。漱石公園には2つの出入り口があり、西からの出入り口に標柱があります。