神楽坂1丁目(写真)外堀通り 昭和54年 ID 93 3件の返信 文学と神楽坂 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 93は、昭和54年(1979年)の北東部の神楽坂1丁目で、外堀通りに沿って撮ったものです。 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 93 神楽坂入口近く外堀通り 1980年 住宅地図。 1978年 住宅地図。 神楽坂1丁目(昭和54年) 神楽坂飯店。味自慢、ラーメン。 えぞ松。上に「ラーメン えぞ松。牛丼/餃子/え(ぞ松)」 下に「手打餃子。ジャンボ 250円。土産 270円」 カレーショップ インドール そばうどん(立ち食い店) バラエティスタンド飲食街 (2)階 (トウホウビル通り抜け) (TORI)NO(喫茶店) 雀處 の舎〇 人形の家(純喫茶) 東京トラベル 松(村薬局) (離れて)東海銀行 神楽坂交差点先100M 白銀町九 フクヤ 神楽坂3-5(地番表示は誤り) 電柱看板「阿部医院」 外 堀 通 り 大郷材木店 (離れて)五洋建設 1丁目 戦前 1丁目 牛込駅 牛込見附(昔) 由来 由来|散歩道 大下水 牛込門以前 神楽坂下の五叉路案 牡丹屋敷(昔) 赤井(昔) 寿徳庵(昔) 紀の善|寿司屋時代 わが青春の記 ガス灯(昔) 小栗横丁 神楽小路 庾嶺坂 新坂橋 道路と駅 飯田橋駅東口 飯田橋駅東口2 外堀通り ボート場 梟林漫筆 内田百閒 店舗 翁庵 のレン 不二家 紀の善 紀の善の閉店 しんぱち食堂 紀の善の柳 神楽坂の立廻り 東京ワンタン本舗 1丁目+森川ビル 昭和42年 六さんの途中下車 記憶の中の神楽坂1 気まぐれ本格派(1) 三沢氏 変化40年(1) 変化40年(2) 変化40年(3) 2度目の事態宣言 あの頃の神楽坂 写真中心(交差点と外堀通り) 昭和6年 日本地理風俗大系 ボート乗り場 昭和29年頃 ID 14048 昭和33年? 夜景 ID 13505 昭和34年 夜景 芸者 ID 31-35 昭和34年 夜景 タワー ID 59-63 昭和35年頃 地元の方 ID 5510, 7002, 9109 昭和35年頃 地元の方 ID 5510, 7002, 9109 昭和43年 庾嶺坂 ID8016 昭和43年 警視庁と三富 ID8017 昭和48年 入口 ID 65 昭和51年 地下鉄 ID 69-71 令和元年 ID 13298 令和4年 ID 17576 写真中心(1丁目) 明治中期 赤井足袋 ID 7640-7641 昭和10年代 神楽坂通り ID 1 昭和28年頃 ID 5190 看板 思い出 地元の方 4枚 昭和34年 夜景 着物 ID 40-45 昭和36年 外濠 昭和36年 鈴蘭灯 と 37年 蛍光灯 昭和36年頃 山田紙店 ID 54 昭和37年 神楽坂 ID 17-19 昭和41年 美観街× 「坂のある街」歩道の文様○ 昭和41年 美観街○ ID 7658 歩道の文様× 昭和45年 ID 13198 外濠公園から 昭和48年 入口 ID 8801~ID 8804 昭和48年 地下鉄の掘削 昭和49年 ダンディー 昭和50年 山田紙店 ID 9781 昭和50年頃 外堀通り ID 9780 昭和51年 研究社 ID12201-03 昭和51年 研究社 ID11484-86 昭和54年 美観街○ ID 85、ID 86 昭和54年 外堀 ID 93 昭和54年 外堀 ID 94 平成2年 美観街 ID 95 牛込橋 昭和5年頃 見附 ID 9378 昭和6年 ID 2 昭和20年代 ID 21, 23 昭和35年頃 牛込見附と山田紙店 ID 47-50 昭和36年頃 ID 52-53 昭和36年頃 ID 12125~27 昭和37年 桜の木 ID 55と56 昭和37年頃 桜の木 ID 5993~5955 昭和44年 駅内と警視庁 ID 8267, 8269, 8270 昭和44年 西口→交差点 ID 8283 昭和45年 外濠公園から ID 13198 昭和45年 西口→交差点 ID 13117+4枚 昭和45年 西口→交差点 ID 13126+1枚 昭和45年 地下鉄工事中 ID 64 昭和48年 地下鉄工事中 ID 8799 昭和48年 石畳の牛込橋 ID 67 昭和49年 石畳の牛込橋 ID 8791 昭和48年 交差点→ ID13158 昭和50年 ID 9808~9809 平成7年 ID 16074 平成23年 ID 16075 平成26年 ID 18239 平成31年 ID 14049 令和元年 ID 13318
道草亭ペンペン草 2021年11月2日 3:38 PM 初めまして!表の家という松戸の情報についてサイトを立ち上げている道草亭ペンペン草です。 昭和の頃の神楽坂周辺の分かる素敵なサイトですね!嬉しくなりました。 1977-78年頃、学生だった私は、神楽坂の途中にあった言論科学研究所(所謂話し方教室です)に雑用バイトで通っておりました。当時は江木武彦さんが社長だったと思います。昼ごはんは五十番の肉まんを食べたり、バラスタ(バラエティスタンド飲食街)の中華粥を食べました。自分の神楽坂での思い出の一つとしてそのバラスタの事を調べてみましたが、ありませんでしたが、貴サイトにバラエティスタンド飲食街の記述があり嬉しくなりました。何か分かることがありましたら、教えて下さいね!なお、https://omotenouchi.jp/you-tiao/ に貴サイトのリンクを入れさせていただきました。今後とも宜しくお願いいたします。 で、 返信 ↓
道草亭ペンペン草 2021年11月3日 6:12 PM Yamamogura様、 ありがとうございます。 アドバイスいただいたリンク、大仙の事を調べてみたら、鄧小平も油条を求めに来るようなお店だったんですね!改めて驚きました。神楽坂も開発で雰囲気が変わってきてますが、古き良き時代の神楽坂の雰囲気を残していただいてありがとうございます。 返信 ↓
初めまして!表の家という松戸の情報についてサイトを立ち上げている道草亭ペンペン草です。
昭和の頃の神楽坂周辺の分かる素敵なサイトですね!嬉しくなりました。
1977-78年頃、学生だった私は、神楽坂の途中にあった言論科学研究所(所謂話し方教室です)に雑用バイトで通っておりました。当時は江木武彦さんが社長だったと思います。昼ごはんは五十番の肉まんを食べたり、バラスタ(バラエティスタンド飲食街)の中華粥を食べました。自分の神楽坂での思い出の一つとしてそのバラスタの事を調べてみましたが、ありませんでしたが、貴サイトにバラエティスタンド飲食街の記述があり嬉しくなりました。何か分かることがありましたら、教えて下さいね!なお、https://omotenouchi.jp/you-tiao/ に貴サイトのリンクを入れさせていただきました。今後とも宜しくお願いいたします。
で、
中華粥は玄来がゆ「大仙」でつくっていました。みちくさ横丁を見て下さい。
Yamamogura様、
ありがとうございます。
アドバイスいただいたリンク、大仙の事を調べてみたら、鄧小平も油条を求めに来るようなお店だったんですね!改めて驚きました。神楽坂も開発で雰囲気が変わってきてますが、古き良き時代の神楽坂の雰囲気を残していただいてありがとうございます。