新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 7804-7806とID 14104は地蔵坂(藁店)を撮ったものです。時期は「昭和41年頃か?」と書かれています。
西側の電柱はすべてコンクリート製で細い柱上変圧器がありますが、東側には木製のものもありました。車道は滑り止めのOリングを使い、下水は道路の側溝を流れています。
これは昭和41年(1966年)でしょうか? まず住宅地図が正しいとして考えます。
「旅館 竹兆」は住宅地図の昭和47年(1972年)にはなく、昭和48年(1973年)では出てきます。
昭和39年までには「松竹荘」は一軒だけですが、昭和40年から47年までは「田中医院」と一緒に出てきて、昭和48年には再び1軒だけの「松竹荘」として登場しますが、「歯科 佐々木」と一緒に出るのは全くありません。
「あかつき」は昭和49年に始めて出てきて、田口重久氏の写真でも昭和49年に出てきます。
つまり住宅地図が正確とすると、正しいのは昭和49年だけだと考えてしまいます。
しかし、ここで、まだ出ていない建物も考えます。地蔵坂と神楽坂通りを結ぶ場所にある武田芳進堂(現・八潮第二ビル)と中河電気(現・八潮ビル)です。武田芳進堂は昭和46年9月に、中河電気は昭和43年9月に大きなビルが完成しています。どちらも5階建てなので、見えるはずですが、ありません。ビルは完成するのに1年ぐらいかかるので、昭和42年以前にこの写真4枚が撮られたものです。つまり、この写真4枚が正しい場合、昭和42年よりも早く、たとえば昭和41年に、撮った方が正しいのです。
住宅地図についてはただただ印刷が遅すぎたようです。
地蔵坂(昭和41年頃) 正面突き当たりに相馬屋文具店 |
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