中村武志氏の『神楽坂の今昔』(毎日新聞社刊「大学シリーズ法政大学」、昭和46年)です。氏は小説家兼随筆家で、1926(大正15)年、日本国有鉄道(国鉄)本社に入社し、1932(昭和7)年には、働きながら、法政大学高等師範部を卒業しました。なお、ここで登場する写真は、例外を除き、毎日新聞社刊の「大学シリーズ法政大学」に出ていた写真です。
◆ 学生は飲んで突いた 豊かでない私たちは、安い店を選んで飲んだ。白十字の近くに樽平があった。お銚子の金印が二十銭、銀印が十五銭で、当時の安い店――須田町食堂や渋谷食堂の八銭から十二銭にくらべると少し高いが、おとおしを四品つけてくれるのが魅力であった。もちろん私たちは銀印であった。 |
白十字 現在はポルタ神楽坂に隠れてしまいました
樽平 現在はラーメン屋「天下一品」
金印 昔は中国の皇帝がその地位に応じて玉印・金印・銀印・銅印などが与えられました。これが元でしょうか。
須田町食堂 大正13年、須田町食堂は東京神田須田町で値段が手ごろな「簡易洋食」として創業しました。やがて、大きくなり、大衆食堂チェーンをつくりました。これが聚楽の始まりです。
神楽坂の須田町食堂は神楽坂一丁目10にありました。現在は、三経第22ビルという雑居ビルになっています。
安井笛二氏は「大東京うまいもの食べある記」(丸之内出版社、昭和10年)で…
◇須田町食堂 例の須田町食堂の神樂坂支店であります。此の邊に氣の利いた大衆食堂がありませんので擧生やサラリーマンなとの人氣を一手に引き受けてゐます。カツライス(十三錢)が人氣もので夜はお酒(一本十三錢)に湯豆腐や肉なぺの客が多い。」と書いてあります。 |
1930年頃 | 1995年 | 2017年 |
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はりまや喫茶 | 夏目写真館 | ポルテ神楽坂 |
白十字喫茶 | 大升寿司 | |
太田カバン | 神楽坂煎餅 | |
今井モスリン店 | カフェ・ルトゥール | Y! mobile |
樽平食堂 | ラーメン花の華 | 天下一品 |
大島屋畳表 | 田金果物店 | メガネスーパー |
尾崎屋靴店 | オザキヤ靴 | オザキヤ |
三好屋食品 | 志満金 鰻 | 志満金 |
増屋足袋店 | ||
海老屋水菓子店 | ||
八木下洋服 | 田口屋生花 | 田口屋生花 |
おとおし お通し。日本料理で、その注文を帳場へ通すときに出す、簡単な料理。
右側の頂上近くの横丁に、東京亭というカフェーがあった。そこの女給さんが、私の友だちのS君にほれて、つれて来てくれと頼まれるのだが、彼は運げまわるのだから閉口した。若いころから私は運が悪かった。東京亭の近くのおでん屋いくよにはよく通った。 学生の遊びとしては、まだ麻雀屋のない時代で、もっぱら悠長で上品な玉突きを楽しんでいた。地元の商店の若主人などもビリヤードのお客であった。 右側の下から二つ目の横丁をまがった左側のビリヤードに、先代の林家正蔵がよく来ていた。神楽坂演芸場へ出演の合間の暇つぶしだったのだろう。彼は少しヤブニラミの気味だったがよく当たった。 |
白木屋横町――小食傷新道の観があって、おでん小皿盛りの「花の家」 カフェー「東京亭」 野球おでんが看板の「グランド」 縄のれん式の小料理「江戸源」 牛鳥鍋類の「笑鬼」等が軒をつらねてゐます。 |
玉突き ビリヤードのこと
先代の林家正蔵 6代目のこと。生年は1888年11月5日。1918年4月、6代目正蔵。没年は1929年4月25日。当たりネタは「居残り佐平次」
◆ 学生の娯楽は映画と寄席 レストラン田原屋の裏に、洋画のセカンドランで有名な牛込館があった。弁士は、これも一流の徳川夢声、山野一郎、松井翠声で、学校をさぼった法政の学生でいつも満員だった。 肴町の都電通りを越えて、通寺町へはいった右側に、日本映画専門の文明館があった。坂の左側の宮坂金物店の角を曲がった横丁に、神楽坂演芸館があって、講語、落語がかかっていた。当時は、金語楼が兵隊落語で売り出していて、入場料を一円二十銭も取られた覚えがある。お客は法政や早稲田の学生が多いので、三語楼は、英語入りの落語をあみだして、これも人気があった。 |
肴町 神楽坂五丁目のこと
都電通り 大久保通りのこと
通寺町 神楽坂六丁目のこと
◆ 歩行者天国のはしり 神楽坂は、私の知るかぎり、空気が汚染されていない数十年前から、歩行者天国を実行していた。冬は午後五時、夏は六時ごろから夜中まで、諸車通行止の札が立てられた。たしか麻布十番と八丁堀も、同じように歩行者天国を実行していた。 夏になると、たいていの家では、夕食後一家そろって、浴衣がけで神楽坂へ出たものだ。背広で歩いているのは、会社の帰りか、用事のある人であった。だから、遠くから眺めると、一本の白い帯のように見えた。 歩道と車道の区別はなかったから、道いっぱいにあふれた人たちが、両側にぎっしり並んでいる夜店をひやかしながら、アセチレン灯に照らされて、一度ではなく、二度、三度往復したものだ。 |