文学と神楽坂
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 6338とID 6340は、昭和33年(1958年)「明治神宮遷宮 祭記念自動車パレード」を撮ったものです。ID 6338は神楽坂三菱銀行前で、ID 6340は田原屋前で撮っています。坂下から坂上へパレードは動き、ID 6338では自動車などや、ID 6340では消防庁音楽隊のパレードでした。11月始めに都内各地で行われ、「本日特売日」の横断幕が見えますが、神楽坂通り商店街は「5の日」を特売日にしていたので、撮影日は11月5日かもしれません。
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 6338 明治神宮遷宮祭記念自動車パレード 神楽坂三菱銀行前
神楽坂4、5丁目(昭和33年)坂上→坂下
純フランス菓子 ス(ゴウ)
突き出し看板「とんかつ・フライ うづ巻」
電柱看板「とんかつ うづ巻」
「消火栓」「神楽坂 内科 第一医院」
山手七福神 毘沙門天 易占 6本線(爻こう )
電柱看板「眼科一般 整形 検眼 小野眼科 」「土地 家屋 野口商会 不(動産)」
「 大久保 」「倉庫完備 大久保」
三菱銀行
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 6340 明治神宮遷宮祭記念 消防庁音楽隊 神楽坂 田原屋前
神楽坂4、5丁目(昭和33年)坂上→坂下
提灯
マケヌ屋洋(品)
東京名物 手焼きせんべい(せんべい 福屋 )
(べー)コン、ソーセ(ージ)」「牛 豚」「株式会社 福田」肉店
電柱看板「 金融 さわや 小間物店横入る 大久保 」「倉庫完備 」
田原屋
垂れ幕「本日特〇〇」
松ケ枝
三菱銀行
街灯は昭和28年頃から昭和36年頃まで続いた、鈴蘭の花をかたどった鈴蘭すずらん 灯でした。車道は平坦、滑らかで、センターラインがなく、つまり一方通行になっています。一方通行はこの写真の昭和33年に逆転式 に変わったのですが、それ以前は坂上から坂下への一方通行でした。この写真では3丁目から5丁目方向へ車が向いているので、逆転式導入後と思われます。 電柱の上には柱上変圧器があります。歩道と車道の段差はわずかですが、車道の端には雨水を流す側溝 があるようです。 人々の密度に非常に高く、警察官も出ています。ID 6338で手紙などを持って走る女性は制服姿で、三菱銀行の職員でしょうか。しかし胸のバッチがスリーダイヤに見えないな、と地元の方。 ID 6340で屋号を見ると、最初の右側の看板は「(べー)コン、ソーセ(ージ)」「牛 豚」「株式会社 福田」肉店 で、レストランの「田原屋 」、毘沙門天 の境内を挟んで「三菱銀行 」が続きます。左側の看板は「東京 名物 手焼きせんべい」(せんべい 福屋 )と「マケヌ屋洋品」(後のAWAYA洋品店、現在は鮨酒肴 杉玉)でした。 看板についてはID 6338の右から➀消火栓と第一医院、➁山手七福神 毘沙門天 、➂土地家屋 野口商会不(動産)と小野眼科 、➃電柱看板「質 大久保 」が2回、➄三菱銀行、左で➅純フランス菓子 ス(ゴオ) 。➆とんかつ フライ うづ巻(紅小路の左2軒目)。➅と➆の間の看板は写真では読めませんが、ここは郵便局なので「葉書 切手 小包 為替」などと小さな文字でサービス内容が書かれていたのでしょう。ID 6340では「松ケ枝 」だけが見えます。 昭和30年のID 4893 (下図)では、三菱銀行はギリシャの円柱を模した4本の飾りを持つ建物でした。
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 4893 新宿区商店感謝祭 新宿菊まつり 花自動車パレード 三菱銀行神楽坂支店前
昭和33年では様相を一変しています。これは戦前の外装を化粧直ししたものと思われます。1軒手前の建物は昭和30年には「おそば春月 」でしたが、すでに店はなくなっていてベニヤ板で囲まれて います。
なお、脚注も地元の方がまとめてくれました。
遷宮 明治神宮の「遷宮」は戦災の再建社殿に移ったのもので、11/3の明治天皇誕生日の直前らしい。
側溝 後の時代に標準となる歩道と車道の段差は、専門用語では「L型側溝 」
小野眼科 新小川町にありました。
小野眼科
ベニヤ板で囲まれて 三菱銀行の駐車場は地図では確認できないとのこと。
3丁目
4丁目