文学と神楽坂
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 476-77、485、488、11460-61、12187-88は昭和51年(1976)8月に飯田橋歩道橋の上から下宮比町、首都高速道路5号線(池袋線)や目白通り、神田川などを撮影しています。資料名は「下宮比町、高速道路下」で、ID 476-77、12187-88(カラー)が4枚、ID 485、488(白黒)が2枚、「目白通り、首都高速5号線、神田川(飯田橋付近)」ID 11460-61が2枚です。
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 476 下宮比町、高速道路下
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12188 飯田橋付近 目白通り 下宮比町
下宮比町(昭和51年)
袖看板「麻雀 東南 お気軽にご◯」
袖看板「3F 武西歯科 ☎2◯」
袖看板「◯◯◯ ◯◯◯◯◯機械専門/東京伊藤鉄工 株式会社」
袖看板「有限会社 銀座◯」
袖看板「近畿日本ツー(リスト)」
袖看板「お気軽に大小コンパ/御宴会受け承ります/サッポロビール/たたき◯巻/大衆酒場/八鶏園」
袖看板「12月生(募)集中/M/フィニッシュワ(ークスクール)」
袖看板「 (52レーン)」(イーグルボウル)
左の歩道
道路標識 (駐車禁止) (転回禁止) (消火栓)
片側2車線。中央に三角コーン1。右側の2車線は色が違う。
隆慶橋。一時的に片側3車線に増える。交通信号機は青色。
右の歩道。両側に木製の仮設と思われる柵。裏側の道路標識。スポットライト様のライト。
首都高速道路5号線(池袋線)。橋脚は2本
神田川
首都高出口のランプから下に行く道路
右は文京区。近くに松屋ビル
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 477 下宮比町、高速道路下
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 12187 飯田橋付近 目白通り 下宮比町
下宮比町(昭和51年)
ポール看板「イーグルボウル」 (52レーン) P有料駐車場 駐車料金◯◯ 200円
塔屋看板「モリサワ/写植スクール/随時受付 夜間部 12月生募集中」壁面看板「M」袖看板「フィニッシュワークスクール」「モリサワ写真植字機」
電柱看板「つる家」(ホテル)
ポール看板「つる家」
左の歩道
道路標識 (駐車禁止) (転回禁止)
高いビルは「池田ビル」(地上8階)
右の歩道。歩道の両側に木製と思われる柵。
首都高速道路5号線(池袋線)。橋脚は2本
神田川
川の上で隆慶橋と反射像
首都高出口のランプから下に行く道路
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 485 下宮比町、高速道路下
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11460 目白通り、首都高速5号線、神田川(飯田橋付近)
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 488 下宮比町、高速道路下
新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 11461 目白通り、首都高速5号線、神田川(飯田橋付近)
神田川に近い歩道ではスポットライト様の光をあてていて、歩道橋に行く階段があります。ID 485と488で隆慶橋の交通信号機は赤。川を渡った文京区では「建物・不動産/松屋」がID 485と488ともにあり、ID 488は首都高から車が出てくる場所の上で「◯ガロ」やネオンサイン「競」「調」などが見えています。しかし、建物の名称について多くは小さすぎて読めません。 この4枚の写真は、おそらく神田川の「江戸川橋分水路 」が完成に近づいたことを記録したものでしょう。分水路は目白通りの地下に建設し、ID 488の手前に見えるコンクリートと鉄板の「吐口はきぐち 」を通って神田川に流れ込みます。 分水路が通っている部分の目白通りの舗装はコンクリートのような色で、左側のアスファルトらしき部分と色が違います。分水路はカーブして吐口につながっています。 吐口のすぐ手前には飯田橋歩道橋の上り階段があり、交差点ギリギまで分水していることが分かります。 江戸川橋分水路は神田川流域の洪水被害を防ぐ目的で建設され、写真の翌年の昭和52年に完成しました。
下宮比町
首都高
江戸川