新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID 8284を見ましょう。撮影は1969年(昭和44年)頃で、神楽坂一丁目から坂上です。車道は靴店のオザキヤのところで色調が違っています。急勾配のコンクリート坂では、一時的に道路表面に円形の〇リングを埋め込み、滑り止め策をしています。当然、道路の色調は変わります。歩道はややサイズの大きい平らな正方形のブロックで、街灯は丸い巨大な蛍光灯です。また「神楽坂通り/美観街」の標識が左右に1本ずつできています。
神楽坂1丁目(昭和44年) | |
新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID 8284を見ましょう。撮影は1969年(昭和44年)頃で、神楽坂一丁目から坂上です。車道は靴店のオザキヤのところで色調が違っています。急勾配のコンクリート坂では、一時的に道路表面に円形の〇リングを埋め込み、滑り止め策をしています。当然、道路の色調は変わります。歩道はややサイズの大きい平らな正方形のブロックで、街灯は丸い巨大な蛍光灯です。また「神楽坂通り/美観街」の標識が左右に1本ずつできています。
神楽坂1丁目(昭和44年) | |
新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID 47からID 50までを見ましょう。撮影の方向は、神楽坂の坂上に向いています。街灯は鈴蘭の花をかたどった鈴蘭灯があり、車道は平坦です。
なお、ID 47はID 5510と、ID 50はID 7002と同じです。また、ID 5510は昭和35年頃、ID 7002は昭和34年頃を撮っています。
昭和34年と比べて、看板2点が違っています。つまり、山田紙店の2階にニューマヤ美容室が入り、神楽堂はヤマザキパンを売っている点です。
ID 48でのメトロ映画の上映作品は、上は「右門捕物帖、地獄の風車」1960.03.01か「右門捕物帖、片目の狼」1959.03.03で、下は「大願成就」1959.11.29だ、と地元の方。
同じくID 7002でメトロ映画の上映作品は上は不明、下は「孔雀城の花嫁」1959.04.08だ、と地元の方。
神楽坂1~2丁目(昭和35年) | |
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新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 40からID 45までは、神楽坂1丁目を中心に撮ったものです。ID 31からID 39同様に昭和34年ではと思います。夕暮れが終わって晩、遠くに横断幕「火の用心」があります。
神楽坂1~2丁目 | |
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森本不動産はここです。
「ここで同じ日の写真だとわかるけど、もっと特定できないかと手がかりを探しました」と地元の方。そこで…
1) メトロ映画の看板。添付写真で、映画タイトルの先頭は「ト」です。
http://www.jmdb.ne.jp/1959/a1959.htm |
明治時代、東京市編纂の『東亰案内』(裳華房、1907)では…
神樂坂町二丁目 享保中、士地を官収して、火除地となし、延享二年放生寺借地とし、文政五年田町四丁目代地となる。明治二年神樂坂の名に取て牛込神樂町と改稱し、明治四年六月附近の士地開墾地を合し、南隣に一丁目を立つるを以て其の二丁目となす。坂に神樂坂あるを以て里俗此邊を總て神樂坂と稱す。 |
新宿歴史博物館『新修新宿区町名誌』(平成22年、新宿歴史博物館)では
神楽坂2丁目 神楽坂一丁目の西側、神楽坂の両側に広がる地域で、江戸時代には旗本や御家人の屋敷が多くを占め、町地は市谷田町四丁目代地があった。 市谷田町四丁目代地 もともと市谷田町四丁目内にあったが、文政5年(1822)2月8日に町内から出火した火災で焼失した場所が尾張徳川家の火除地となったため、同年6月9日、神楽坂南側にある穴八幡放生寺拝借地旅所跡を下され、そのときからこの町名となった(町方書上)。里俗は神楽坂。 明治2年(1869)5月に牛込神楽町(町名唱替帳・明治2年町鑑)、同4年6月周辺の土地を合併して神楽町二丁目と改称(市史稿市街篇53)。昭和26年5月1日から現在の神楽坂二丁目となる(東京都告示第347号) |
まず明治20年の地図の2丁目。この地図では鏡花仮宅と出ていますが、現在はなくなり、「泉鏡花・北原白秋旧居跡」の標柱が立っています。
右側は「神楽小路」、昔は「紀ノ善横丁」といいました。場所はここ。
左側は「鏡花横丁」です。場所はここ。鏡花横丁は牛込倶楽部の平成10年夏号『ここは牛込、神楽坂』で提案した地名です。
林 このあたりは泉鏡花の旧家があったということで『鏡花通り』とつけるといいんじゃないかと言ったことがあるんですよ。でも、文献では「小栗横丁」になっているらしい。 |
志満金と田口屋生花店に挟まれた横丁を鏡花横丁と呼んでいるようです。鏡花横丁はまっすく曲がらずにいって理科大に行く。曲がってからの道は小栗横丁といいます。なお、小栗横丁は以前、小栗利右衛門屋敷があったためとされています(町方書上)。詳しくは小栗横町で。二丁目のアグネスホテルはここから行くこともできます。
『ここは牛込、神楽坂』「語らい広場」で、ある読者は「大通りを入ったところが横丁で、横丁を入ったその奥は路地」だといっていました。路地の幅は3尺(90cm)。神楽坂ではおおむね正しいのでしょうか。
左側には「志満金」と「オザキヤ靴店」が見えます。
さらに行くと「ポルタ神楽坂」にやってきます。 Portaはラテン語で城門のこと。2011年にできた新しい9階の建物です。東京理科大学の新施設ですが、1、2階にはたくさんレストランが入っています。たとえば二丁目食堂トレド、千年こうじや、梅花亭です。あっという間もなく消えていった店も沢山あります。また、昔ここにカフェーユレカ(あるいはユリカ)があり、詩人がやってきたりしました。
ではまた神楽坂通りを上に向いて歩いてみましょう。陶柿園、神楽坂写真館、さわや、肉のますだや、太陽堂などがでてきます。
ここで神楽坂について、『神楽坂おとなの散歩マップ 』で洋品アカイ・赤井義松はこう書いています。
よく注意して歩くと、「さわや」さんの前あたりで坂が緩くなってる。で、またキュッと上がってる。あれは急傾斜を取るために、あそこで一段、ちょっとつけたわけです。 |
ここから上を向いて行くと神楽坂3丁目に、右側は神楽坂仲通りになり、左側は下向きの神楽坂仲坂から小栗横丁に入ります。
昭和5年頃 | 平成8年 | 令和2年 |
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はりまや喫茶 | 夏目写真館 | ポルタ神楽坂 |
白十字喫茶 | 大升寿司 | |
太田カバン | 神楽屋煎餅 | |
今井モスリン店 | カフェ・ルトゥール | チャイハネ インド服 |
樽平食堂 | ラーメン花の華 | 天下一品 中華そば |
大島屋畳表 | 田金果物店 | メガネスーパー |
尾崎屋靴店 | オザキヤ靴 | |
三好屋食品 | 志満金 鰻 | |
增屋足袋店 | ||
海老屋水菓子店 | ||
八木下洋服 | ||
田日屋生花店 |