文学と神楽坂
笹口幸男 氏は単行本『東京の路地を歩く』で「花街の粋をたたえる格調高い路地 神楽坂・四谷荒木町」(1990年、冬青社)を書いています。 笹口幸男氏は、1940年生まれ。中央大学法学部政治学科を卒業し、ジャパンタイムズやTBSブリタニカ社、扶桑社の編集長などを経て、この当時は『International Financing Review』の東京編集部に勤務していました。
神楽坂。好きな名前である。 JR総武線の飯田橋駅から北へ行った高台の区域が神楽坂で、法政大学寄りの出口 を出て、右手を望むと、かなり急な上り勾配の、街路樹と街路灯の続く町並み が目に入ってくる。冬の陽の落ちる直前の、景観は詩情すら感じさせてくれる。 ここ三年ほど、職場 が神楽坂に近くにあったせいで、昼飯などときたま食べに出かけて行くことも多かったが、私と神楽坂の最初の結びつきは、一軒の酒場から始まった。飯田橋駅から、神楽坂を上りつめたところの路地を右に入ったところにある。十五年ほど前になるかもしれない。同じ職場の先輩に仕事帰りに連れてこられたのが最初である。『ニューヨークータイムズ』で、東京の由緒ある居酒屋の一軒として紹介されたこともある。 この酒房の名は〈伊勢藤 〉。神楽坂のシンボルともいうべき毘沙門天の真ん前、お茶屋 の脇を入った右手の奥まった角にひっそりとしてある。石畳を踏みしめてゆっくり歩いていくと、暗い闇の中にぼんやりと提灯の灯が見えてくる。「ああ、神楽坂へ来たんだ」という気分になる。表通りから一歩この路地 に入ると、空気が一変する。そっと木戸を開けて中へ入ると、薄暗い土間になっていて、正面、カギの手のカウンターの向こうに主人が膝を折って正座している。酒の燗をつけてくれる。まるで酒場全体が、時代劇の旅籠屋のなかをのぞくような雰囲気に満ちていて、とても九十年の現代とは思えない。 忘れることかできないのは、この反時代的な舞台装置だけでなく、主人の頑固一徹さである。昔ふうの酒飲みのスタンスを一歩たりとも崩さない。だから、この店では、ビールはもちろんのこと、焼酎もウイスキーも置いてない。それも白鷹いっぽんやり。自分の酒の好みを共有できる人のみに来てもらえばよい、ということをはっきり主張している。 さらにこの店では、飲んで大声を上げたり、酔って他人に迷惑の及ぶ行為は厳しく禁止されている。かつて先輩や同僚を案内して立ち寄ることもたびたびあったが(最近はとんとご無沙汰している)、声が大きすぎるといって叱られたことも一再ならずあった。したがって気にくわないと思ったこともある。ちょっと良くなったが、かくのごとく私にとって〈伊勢藤〉は、神楽坂へのイントロであり、なつかしい。そして〈伊勢藤〉といえば、忘れられないのが、その石畳の路地であった。ここへ来るたびに、この路地の先はどうなっているのだろうか、というのがいつも抱く疑問だった。ある時この一帯の路地を歩く機会が訪れた。たっぷりと時間をかけ歩いてみた。この〈伊勢藤〉の前の路地は、すぐ左に曲がり、そして曲ったと思う間もなく、すぐ二又に分かれる。その右手に折れると、下りの石段になり、あたりの風情といったら、とても東京の一角などには感じられない。まるで京都の産寧坂 あたりに迷い込んだかのような錯覚にとらわれる。割烹〈吉本 〉と黒塀の旅館〈和可奈 〉が両脇に並び、ムードをいっそう高めてくれる。〈和可奈〉の屋根の上を三毛猫かゆっくりと歩いている図もよくこの景観に似合う。 一方、二又で分かれたもう一本の路地 は、これほど魅惑的でないにせよ、長く、何回も曲がりくねりながら続いている点に、別種の趣きをおぼえる。先の路地か花街的な粋をたたえているとすれば、こちらの路地には、狭いアパートでの生活を強いられながらも、毎日に潤いを忘れない庶民の美意識があちこちに見られる。それは、二階のアパートの窓いっぱいを植木鉢で飾った家や、玄関脇をやはり植木鉢でかためた家などからうかがえる。 そして両方の路地に共通にみられるのが、みかげ石の石畳 であり、石段という小道具の存在である。石段の上と下で、どれだけ風景か変化するかは、体験してみればわかると思う。視点の移動による景観の変化は楽しいが、それが人間社会の意識にかかわると、見上げる・見下ろすといった心理的な位相にまで影響がありそうだ。さらにこの路地空間には、あとで見る神楽坂の別のエリアにもいえることだが、旅館や料亭のたたずまいがかもしだす古き良き時代の雰囲気が、現代という乾いた舞台で、いっそう情緒の光彩を放っているともいえる。
出口 飯田橋駅は先後の二方面で外にでられます。市ヶ谷方面と水道橋方面なのですが、法政大学寄りは市ヶ谷方面です。
法政大学のキャンパス
町並み 実際に右を振り向くと神楽坂通りが非常によく見えてきます。
職場 はっきりしたことはわかりませんが、扶桑社やフジテレビの関係から、職場は新宿区河田町などに近い所ではなかったのではと思います。
伊勢藤 「
伊勢籐 大好きな人もいるけど 」を参考にしてください。しかし、伊勢藤か伊勢籐か。これについては藤のほうが正しいようです。
お茶屋 お茶屋は京都などで花街で芸妓を呼んで客に飲食をさせる店のこと。実際にそんな店は神楽坂にはありません。うどんすきの「鳥茶屋」と間違えているのでしょう。
この路地 この路地は賞を取ったことで「まちなみ景観賞の路地」((けやき舎の『神楽坂おとなの散歩マップ』)、または千鳥足で歩きたいことで「酔石横丁」(牛込倶楽部平成10年夏号『ここは牛込、神楽坂』で提案した地名)と呼ばれています。細かくは
ここで
産寧坂 さんねいざか。京都市にある坂。
三年坂( さんねんざか ) とも。 東山の観光地として有名で、音羽山清水寺の参道である清水坂から北へ石段で降りる坂道です。
吉本 正しくは割烹「幸本」(ゆきもと)。たぶん「よしもと」だと間違えたもの。1990年でも「幸本」と読みました。
和可奈 「わかな」と読みます。細かくは
ここで 。
路地 この路地は「クランク坂」といった人もいます。『ここは牛込、神楽坂』第13号の特集「神楽坂を歩く」では
坂崎 非常に入り組んだ地形でね。階段があったり、坂があったりして。
井上 ふつうの人はまず入ってこない。
林 カギ形に入り組んでいるから『クランク坂』。交差してないから卍坂とはいえないし。
坂崎 いいネーミングだなぁ。
石畳 石畳の狭義の定義では、ピンコロ石畳を使った
鱗( うろこ ) 張り(扇の文様)舗装のこと。
作家