2枚の写真を比べてみましょう。昭和36年と37年です。最初は昭和36年、1961年です。場所は神楽坂1丁目から2丁目です。図は拡大できます。
右側の前から見ると……
- 神楽堂。パンなどの店舗
- 何も書いていないけど、紀の善。甘味処です。
- MEN’S WEARの前に神楽小路が見える
- 白い建物の1階はテーラー和田屋、2階が理容バンコック。MEN’S WEARとWA⚫⚫YA。道路には床屋のサインポール
- ダンス。神楽小路の奥にあった小柳ダンス教室
- メトロ映画で「江戸っ子肌」公開は1961年2月と「兵六大臣行状記」公開は1961年2月。最初に封切りをする1番館でした。
- トリスバー
- 「志乃多寿し」
- 1軒が間に入り、パチンコマリー
次は1962年です。昭和37年で、新宿歴史博物館のID 17です。場所は神楽坂1丁目から2丁目です。
最初は左側の前から後ろに向かっていきます。
- 甘味 桜井。ここは1丁目。
- パール ビリヤード。現在はないが、小栗横丁にあった。
- 小栗横丁に行く小道
- 壁面看板の「花 田口屋」。ここから2丁目
- 電柱看板で「川島歯科」。現在はないが、藁店にあった。
- 志満金
次は右側の前から後ろにです。場所は2丁目です。
- 床屋のサインポール
- メトロ映画で「九ちゃん音頭」公開は1962年7月と「男度胸のあやめ笠」公開1962年6月
- 白い建物はスナックとバー みなみ
- 志乃多寿し
- 山一薬品
- パチンコマリー
しかし、1961年と1962年の場合、もう1つ、大きな違いがあります。つまり、街灯が違っているのです。1961年はいわゆる「鈴蘭灯」で、下向きの2つ、上向きが1つの電灯がありました。おそらく1955年ごろから使ったものです。
これは「神楽坂下の夜景(写真)」でもみられます。
1961年2月に街灯は変えられたと考えています。