文学と神楽坂
4枚の写真は50~60年代の神楽坂の夜景です。新宿区新宿歴史博物館にいけば、おそらくさらに沢山の写真(坂下や中腹)があるのでしょう。
最初は昭和34年、神楽坂の中腹部です。
『目で見る新宿区の100年』(郷土出版社、2015年)(昭和34年)
「神楽坂三十年代地図」(『神楽坂まちの手帖』第12号、2006年)を参照
神楽坂2丁目 |
- 電柱看板「石川歯科」。小栗横丁にある
- 「夏目写真館」とネオン「photograph 夏目写真館」
- 「+ク」スリ。神楽坂薬局。「☎でんわ」と解熱鎮痛剤「ケロリン」。「ハーモニン 神楽坂薬局」
- 「田」丸屋。せんべい。「手焼せん 」
- ネオンは「洋装生地 林屋」
- 化粧品の十奈美。見えません。
- 山岸煎餅店。見えません。
- 洋品の「エス」ヤ
- 「メガネ」と、ひとつ奥には「ト」ケイと時計10:10。大川時計
- 肉・増田、太陽堂。見えません
- 神楽坂仲坂。見えません
- 山本薬局。見えません
- 「ヒデ美容室」
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- 「パチンコマリー」。現在はカグラヒルズ。
- 「ヤマヤ ⇒」
- 「洋食と喫茶 京屋 どうぞ⇒」。一軒ほど右奥にはいった場所にあります。
- 壁面看板「ジュ 」「靴 はニ 」
- 「靴 ニューイトウ」。広告のぼりは「セカイチョ」。運動靴の会社「世界長 セカイチョー ゴム株式会社」。「文部省教育用品審査合格品」
- 「コーヒー坂」と「陶柿園」は見えません。
- 「旅館 かぐら苑」。右奥にはいった場所にあります。
- 「珈琲 グラウン」と 「クラウン」
- 「ルナ美」容室。
- 「ポーラ化粧品」
- 「亀井鮨」
- 喫茶「七福」
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下図は小さな文字で描かれていますが、大きくすると、店舗の名前もわかります。
神楽坂1~2丁目。1963年の住宅地図。
2番目は神楽坂下から見た写真です。時代は同じく昭和34年。
新宿の1世紀アーカイブス-写真で甦る新宿100年の軌跡
➀ 「赤井商店」。戦前は足袋店。戦後は紳士用品や高級シャツの仕立てで「赤井シャツ店」に。1996年、転業し、10年間喫茶店。
➁ 印章・ゴム印で「津田印店」
➂ 「パチンコ」。おそらく「パチンコマリー」
➃ 「
清水衣裳店」。結婚式、成人式、卒業式等の貸衣装店。現在は千代田区飯田橋3-2-12に。
➄ 「田原屋」。坂上の田原屋の兄弟店。フルーツパーラー。
➅ 「パチンコ」
ほかに一方通行の標識があります。この時期、道路は坂を上る方向だけでした。
3番目「神楽坂まちの手帖」第12号の「昭和30年代とその周辺 僕らの育った神楽坂」は新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」のID 32と同じものです。
新宿歴史博物館 ID 32 神楽坂入口から坂上方向夜景、着物の女性たち
新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」のID 31では
新宿歴史博物館 ID 31 神楽坂入口から坂上方向夜景、着物の女性たち
加藤嶺夫著「加藤嶺夫写真全集 昭和の東京1」(デコ。2013年)。時代は昭和42年。着物を着る芸者はもうなくなっています。
かぐらむらの「記憶の中の神楽坂」では
赤井足袋店(神楽坂入口付近/明治40年代/『新修 新宿区区史』〈都立中央図書館蔵〉) 神楽坂下の角、現在では不動産屋になっている場所(神楽坂1-12)にあったのが「赤井足袋店」である。足袋の形の大看板に江戸の名残が感じられる。神楽坂の入口の良い目印であった事だろう。戦前は足袋店だったが、戦後は足袋と共に紳士用品や高級シャツの仕立てを行い「赤井シャツ店」となる。1996年に転業して10年間喫茶店を開いていた。2006年から不動産屋となっている |
田原や(フルーツパーラー) 氷メニューが豊富でした。美味しかったですよ。ソフトクリームが美味しくて、それを使ったパフェも絶品!甘いものが苦手な人には小ぶりの丸パン3つに違った具をはさんだバンズセットというのが人気でした。当時の私は、お昼のお弁当を食べて、夕方それを食べて、家でまた夕食を食べるという食い気ばかりの高校生でした。(そうそう、そこの氷が独特で、名前も変わっていて、スノーハワイアンっていったかな?) |