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神楽坂3丁目(写真)大東京祭パレード 昭和32年 ID 4943

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 4943は昭和32年(1957年)「大東京祭」における「花自動車パレード」を撮ったものです。坂下から坂上への自動車、バスやトラックの「花自動車」パレードでした。「祝 大東京祭」を掲げるオープンカーには女性4人が手を振り、左ハンドル車の運転手が座っていました。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 4943 大東京祭 花自動車パレード 神楽坂

 街灯は昭和28年頃から昭和36年頃まで続いた、鈴蘭すずらんの花をかたどった鈴蘭灯でした。電柱の上には細い柱上変圧器があります。車道は石敷ですが、平坦、滑らかで、センターラインは消え、しかしうっすらと残っています。つまり昭和30年に行った対面通行はやめ、昭和31年には坂を上る方向の一方通行に変えています。もっと遠くのセンターラインは実線が残っています。坂下の交差点の横断幕はおそらく「片側通行帯」で、神楽坂通りが一方通行であることを知らせる目的でしょう。この一方通行が逆転式に変わるのは昭和33年と思われます。
 右側の鈴蘭灯は歩道のど真ん中に立ち、左側の電柱は車道寄りの歩道に立っていました。縁石から約30cm内部に新しいコンクリートの列があり、この間の地下には下水が流れていたようです。
 ヒデ美容室と山本薬局の間の歩道には段があります。昔の神楽坂の階段のなごりかも知れません。
 地元の方はさらに説明します。

 太陽堂の横の路地に積み上げてあるのは「ばち」ですね。大東京祭は都民の日(10月1日)ごろの実施なので、ちょうど需要期でしょう。都の資料によれば大東京祭は昭和31(1956)年が第1回となっています。またオープンカーの頭上の横断幕を、この季節で大胆に予想すれば「紅葉祭」でしょう。
火鉢 暖房具の一種。灰を入れ、炭火すみびをついで手足をあぶり、室内を暖め、湯茶などを沸かした。

神楽坂3丁目(昭和32年)
  1. 看板「パーマネント」の「ネ」。マーサ美容室
  2. おそらく電柱看板「マッサージ 〇サージ院」
  3. 電柱看板「喫茶 七福」「菓子 七福」
  4. さわや
  5. 亀井鮨
  6. ルナ美容室
  7. 喫茶クラウン
  8. 電柱看板「旅館 川田
  1. ビデ美容院
  2. 綜合 ビタミン剤 強力パンビタン  山本(薬局)。看板「抗生物質製剤 クロロマイセチン」
  3. 美術陶器 太陽堂 せともの
  4. BARBER 管理髪館
  5. ス〇 美術〇〇
  6. 時計。メガネ
  7. ✚クスリ
  8. 夏目写真館
  9. 電柱看板「石川歯科

神楽坂2丁目(写真)昭和27年頃 ID 28-30

文学と神楽坂

 新宿歴史博物館の「データベース 写真で見る新宿」でID 28からID 30を見ていきましょう。今日は晴れ。長袖の人が多く、夏以外の季節。撮影の方向は、ID 28からID 29は坂上を、ID 30は坂下を見ています。簡素でまん丸の街灯は電笠もなく、これは昭和28(1953)年以前にあたります。昭和28年、新宿歴史博物館 ID 21には鈴蘭灯がありました。また歩道はどぶ板しかなく、平気で道を歩いています。

新宿歴史博物館 ID 28 神楽坂途中、2丁目付近

 メトロ映画では「情無用の街」という洋画をやっていました。日本の初演では1952(昭和27年)1月19日でした。理髪バンコク館があり、電柱看板「旅館 碧逢」があります。小栗横丁への入口の左側から日光がさしています。中央に横書きで「ニュー」がありますが「ニューイトウ」です。

1952年、火災保険特殊地図

新宿歴史博物館 ID 29 神楽坂途中、2丁目付近

 最左端は「生花や」で、田口屋生花店です。隣には鰻の「志満金」、尾崎屋(靴店)、田金果物店、八食品、大島糸店と続きます。のぼり旗は「歳末大売り出し」で、良く見るとID 28でも確認できます。
 郷土出版社の「新宿区の100年」(2015年)では……

神楽坂、志満金前(昭和20年代後半)
現・神楽坂2丁目。手前が鰻料理の老舗として名高い「志満金」。大売出しの日、各店の人たちが勢ぞろいした一コマ。神楽坂界隈は戦災でほぼ全焼に近い打撃を受けたが、戦前からの馴染み客たちの後援もあって、早くから復興した。志満金は現在もグルメスポットの一店である。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 30 神楽坂途中から坂下方向

 マーサー美容院の巨大な看板「パーマネント」があり、すぐ下には将来の「神楽坂仲通り」があります。右側にも隙間があり、これは「神楽坂仲坂」です。すぐ下には大きな壁面看板があり、太陽堂です。横断幕「火」も出ていますが。「火の用心」でしょう。地元の方は「新宿歴史博物館 ID 28-29には横断幕はなく、逆にID 30には『歳末大売り出し』が見えない。電柱の電線の数(横木の数)はID 30の方が少ない。よってID 30の方が古い写真と思われます」といいます。
 地元の方は「①は戦前からあった「大松閣」で、神前式結婚式を創始した東京大神宮の結婚式場だった。今は式場は隣接施設に移り、「大松閣」跡は貸しビルになっている。②は国鉄飯田橋駅西口駅舎。③は東京ルーテルセンター教会の塔。塔の左側(背後)は暁星学園か、母体の修道院(いずれも千代田区富士見)。④はメトロ映画。⑤はニューイトウ(後に靴店)。⑥はその隣で陶柿苑。写真に写っているような下りの車が誤って突っ込んだわけです。⑦は「喫茶 七福」。良く見ると下の看板にもコーヒーカップの絵が見えます」

新宿歴史博物館 ID 30

 地元の人は「謎が、ようやく解けました。角に『七福』はあったんです。仲通の角が少しへこんでいて(正確には、建物の中に三和土のような場所があり)マーサと七福は入り口を共有していたと思われます。解説図を添付しました。新宿歴史博物館 ID 8 ID 10では七福はなくなっていますが、マーサの入り口が凹んでいるのが分かります」
 しかし、私にとっては「パーマネント」の「ト」の下にマーサー美容院の入口があるとも思えています。

住宅地図。人文社。1962年 喫茶 七福

住宅地図。住宅協会地図部