酒井眞人氏の「東京盛り場風景」(誠文堂、昭和5年)は、誠文堂十銭文庫という廉価なシリーズで、銀座、上野をはじめ戦前の都内の繁華街を解説しています。神楽坂の章には写真2枚が添付され、うち1枚のキャプションは「神楽坂通」でした。
右側中央で「カフエー グラン(ド)」と小さく、しかしはっきり読めます。地図では、カフエー グランドは地下にできていたようです。
この場所は神楽坂でも最も急峻な坂道で、その差を利用して半地下の構造にしていたのでしょう。
「カフエー グランド」の上に建つ欄干のついた立派な建物は演芸場の「牛込会館」です。奥には演目や出演者を知らせる高い「のぼり旗」が少なくとも2本は立っています。
右手前の縦看板は、歴史的には「袋物 佐和屋」(大正11年)、「さ和屋 小間物」(昭和5年頃)、「さわや」と変わっていき、令和6年末に閉店しました。この時点では「さ和屋 小間物店」です。横看板も「◯和屋」と読めそうです。
さらに1軒前には「ニオン堂」だけが読め、これは「ユニオン堂」でしょう。
擬宝珠に似た飾りがついた街灯があり、その前の暖簾は「亀井鮨」で、左側の小さな字は「神楽坂支店」でしょう。
「牛込会館」のやや奥、切妻屋根の3階建てはパン屋の「木村屋」のようです。
通りを挟んで左側には小さく「たばこ」と書いた看板が見え、「村田煙草店」でしょう。のぼり旗の「タバニ」も、おそらく「タバコ」です。
その奥の看板「時」は大川時計店と想像できます。「指◯」は不明です。
震災前の大正期の神楽坂通りは未舗装でしたが、この写真の昭和5年になると、両側の歩道が整備され、車道も舗装されているように見えます。
高い電柱🔷に2種類がありそうです。右の電線の数が多く、左の数が少ないのですが、おそらく左は電力柱、右は電信柱でしょ