『婦系図』などの作者、泉鏡花氏は明治32(1899)年秋から明治36(1903)年2月、南榎町に住んでいたことがあります。
泉鏡花氏が南榎町22に住んだ約50年後、詩人兼画家のノエル・ヌエット氏は、1952年(67歳)、矢来町の小さな家に住み、1961年(76歳)、フランスに戻るまで住んでいました。ヌエット氏は神楽坂の寺内公園で一部の人に有名な版画『神楽坂』を作っています。
えっ、どこにつながりがあるの。実はこの二人の家、非常に近いのです。
左の小さい22番は泉鏡花氏の家で、右の大きい12番はヌエット氏などの数軒がありました。
南榎町22は江戸時代には「御先手同心大縄地」と呼ばれていました。ここで「御先手」とは先頭を進む軍隊、先陣、先鋒のことで、戦闘時には徳川家の先鋒足軽隊を勤め、平時は江戸城の各門の警備、将軍外出時の警護、江戸城下の治安維持等を務めました。「同心」は江戸幕府の下級役人のこと。「大縄地」とは与力や同心などの拝領地のことで、敷地内の細かい区分ではなく一括して一区画の屋敷を与え、大縄は同役仲間で分けることで、その屋敷地を大縄地と呼びました。今の公務員団地。これを明治政府はまた細分化したので、この場所には小さな小さな家がたくさん建っています。
一方、矢来町12は明治時代では「矢来町3番地 字 山里」と呼ばれました。「山里」は庭園の跡があるという意味ですが、実際には江戸時代にはこの場所では酒井家の武士が住んでいました。