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牛込見附と桜の木(大正11-12年)

文学と神楽坂


「牛込見附」の写真について地元の方が解説をしました。

 東京市史蹟名勝天然紀念物写真帖は、当時の東京市役所公園の手による関東大震災直前の写真集です。「序」には「都市改造ノ業益進」む中で「真景ヲ留」める目的とあります。精細なコピーが国立国会図書館デジタルコレクションで公開されています。
「牛込見附」は第1集4(コマ番号11)で、以下の写真と解説があります。


 麴町區富士見町より牛込神樂坂に通ずる門で、牛込口または牛込門ともいひ、此邊に楓樹があったので俗に紅葉門とも呼んだことがある。寛永十三年幕府が江戸城の修築を諸侯に命じた時、此見附は蜂須賀忠秀が營んだもので、恐らく此時新たに出来た見附と思はれる。今は殆んど舊態を失ひ、僅かに石垣のみに其名残を留めて居る。

 牛込見附については、このブログの別記事で詳細に検討されています。
 ここでは、写真帖の牛込見附の写真を見ていきます。牛込橋は神楽坂の反対側を左手前から上にあがり、欄干がでています。その先の木柵部分は千代田区側で、下を中央線(旧・甲武鉄道)がくぐっていると思われます。正面右の石垣手前に立つ白いポールは鉄道の信号機でしょう。線路らしきものも確認できます。この右側が旧・牛込駅(後に廃止)になります。積雪があるので季節は冬でしょう。
 道路の舗装部分から外れると土手で、右はガケになります。ガケの下は現在のカナルカフェです。土手の電柱の広告は篠崎インキの「万年筆用ライトインキ」。牛込周辺の学生をターゲットとしたものでしょう。
 電柱はたくさん立っていますが、街灯らしきものは見えません。牛込土橋の店もなく、夜は真っ暗だったでしょう。赤井足袋店の赤井儀平氏の回想に一致します。

 土手の中央に桜の木があります。この三股が特徴的な桜は時代を超えて、いくつかの写真に登場します。
・昭和6年 ID 2 飯田橋駅付近より坂上方向
 左端の木で、太くなりました。土手は歩道として整備されました。
・昭和20年 早乙女勝元『東京空襲写真集』
 左端で見切れています。
・昭和37年頃 ID 55-56 飯田橋駅付近より坂上方向
・昭和37年 ID 5993-5994 神楽坂入口をのぞむ
 店ができています。歩道を半分占めるほどの大樹に。
その後、おそらくジャマになって切り倒されました。
・昭和42年 田口氏05-14-37-1 牛込見附から神楽坂下を
桜の木を基準にすると、牛込橋の幅が徐々に広がっていったことが分かります。

神楽坂下のガス灯

文学と神楽坂

 新宿区立図書館『新宿区立図書館資料室紀要4 神楽坂界隈の変遷』(1970年)「古老談義・あれこれ」の赤井儀平氏のガス灯です。赤井足袋店は外堀通りにあった神楽坂1丁目の角で、専門は足袋、戦後にはシャツも行いました。現在は閉店し、表札は今も「赤井」ですが、店はアパマンショップ(不動産会社)に変わりました。

 見附のつき当りは石垣ですからまっ暗でした。手前共の2代目がガス灯をつけました。橋の向いがわとこちらがわにです。そうすれば麹町のお屋敷の女中さん達も淋しがらずに出て来られるだらうというわけです。その頃はまだ電灯のない時代です。皆ランプでした。ガス灯は古い写真をごらんになるとおわかりになりますが、ひさしヘガラス張りの箱形の軒先灯がつけてありまして、点灯人夫が夕方になると脚立をかついで火をつけに来るんです。日本点灯会社というのが肴町にありまして点火、掃除、油差しを請け負っていました。勿論軒先灯だけではなく街灯もありましたが、照明が暗いだけでなく夜になると通りの店はみんな「あげ戸」を下してしまうものですから通りは暗くて、宅などは上の1枚だけを障子にしておきまして、窓をつけてございましたから、遅くいらっしゃるお客様にはその窓越しにあきないをいたしておりました。街灯といっても何本もありませんでしたので、そこだけは幾分か明うございましたがそれ以外の所はまっくらでした。それがだんだん電灯がつく様になりますと表にガラス障子がはまり、屋内の明りが外に出るようになりまして通りも大変あかるくなりました。それまで神楽坂もひどうございました。
あげ戸  揚げ戸。揚戸。縦溝に沿って上下に開閉する戸。戸の上端に蝶番ちょうつがいなどを取り付け、つり上げて開ける戸。

新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 7641 赤井足袋店

 私はこれこそがガス灯で、神楽坂唯一で最古のものだったと考えました。しかし、地元の1人は、これがガス灯かも知れないと、言い方は微妙に違っています。つまり…

 新宿歴史博物館「データベース 写真で見る新宿」ID 7640-41に赤井足袋店と街灯が写っています。独特の形状で、これがガス灯かも知れません。撮影時期は『明治中期以降(推定)』としていますが、電柱と電線も写っており、撮影したのは大正初期の可能性もあります。

赤井足袋 ID 7640-7641