神楽坂を神楽坂通りの向かい側から見ています。交差点は「神楽坂下」です。1980年代初頭までは「牛込見附」という名称の交差点でした。
南北(横)の道路は「外堀通り」です。 東西(縦)の道路は「神楽坂通り」、あるいは「早稲田通り」です。神楽坂下の標高は6m。ここを真っ直ぐに上がっていくのが「神楽坂」で、現在は「神楽坂1丁目」。かつては「神楽町一丁目」でした。
その前に左を見ると、スターバックスが見えます。(前にはパチンコ店でした)。さらに昔(江戸時代)のスターバックスは牛込「牡丹屋敷」でした。道路の右側に神楽坂の標柱があります。神楽坂のいわれを書いたものです。
神楽坂 | 坂名の由来は、坂の途中にあった高田八幡(穴八幡)の御旅所で神楽を奏したから、津久戸明神が移ってきた時この坂で神楽を奏したから、若宮八幡の神楽が聞こえたから、この坂に赤城明神の神楽堂があったからなど、いずれも神楽にちなんだ諸説がある。 |
平成14年3月 新宿区教育委員会 |
これ以外にも諸説があります。
ほかには全部のお店を描いたものがあり、これはインターネットでもでています。http://kagurazaka.in/map/kagurazakamap2017.pdf
江戸町名俚俗研究会の磯部鎮雄氏は、新宿区立図書館の『新宿区立図書館資料室紀要4 神楽坂界隈の変遷』(1970年)の『神楽坂通りを挾んだ付近の町名・地名考』で
神楽坂1丁目 これは戦後の改称であって戦前は神楽町1丁目と称していた。現在では外濠の電車も取払われて,牛込橋を下って神楽坂を上る両側坂口が1丁目となっている。右端軽子坂より左は庾嶺坂まで1丁目である。江戸時代此の辺は片側町屋で、坂の右側は武家地であった。嘉永切図を見ても分る通り、右角松平祐之亟、その上近藤儀八郎、国領正太郎の屋敷があって、右へ曲って新小川町の通りとなる。軽子坂の上を新小川町へ下ると此処が三年坂又は三念坂という。だが1丁目は薄っぺらな町で三念坂の通りは今2丁目になっている。1丁目、坂の入口の左側の角には牡丹屋敷があった。そのあとに戦前は本所亀沢町で有名な最中を売っていた寿徳庵の支店があったが戦後はない。 |
石黒敬章氏が編集した『明治・大正・昭和東京写真大集成』(新潮社、2001年)では
【牛込神楽坂】 |
平成14年(2002年)、電線はなくなりました。
神楽坂上を見て左側 昭和5年頃 | 平成8年 | 令和2年 |
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陶仙亭中華 | 田口屋花屋 | |
東京堂洋品 | 炭火串焼やき龍 | 三経第22ビル |
須田町食堂 | 翁庵 そば | 會田ビル |
翁庵 そば | 清水貸衣裳 | モスバーガー 神楽坂下店 |
伊勢屋乾物 | ||
空き家 | エイブル 飯田橋店 | |
畔柳氷店 | ||
壽徳庵 | ニューパリー | スターバックス コーヒー |
神楽坂上を見て右側 昭和5年頃 | 平成8年 | 令和2年 |
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紀の善寿司 | 紀の善甘味 | |
小間物 みどりや | 不二家洋菓子 | |
斎藤洋品店 | 地下鉄 | |
山田屋文具 | のレン | |
萩原傘店 | 薬ヒグチ | |
田中謄写堂 | カレーボナッ | |
赤井足袋店 | カフェベーカリー ル・レーブ | アパマンショップ |